2012年01月19日

そこも ここも 荒涼たる死の世界だ






    「格差ゼロの世界は、
    荒涼たる死の世界である」
    
    これは、
    かなり大胆で、刺激的な発言である。
    
    朝日新聞の匿名コラム「経済気象台」、
    1月17日付に掲載されていた、
    「格差論」というタイトルの一文。
    
    
    このコラムの執筆者は数人いるらしく、
    おそらくは、経済人といえる筆の立つ論客だと思う。
    
    しかし、これを実名で書いたら、
    四方八方からカミソリが飛んでくるに違いない。
    
    論者は、
    「すべての格差が悪いわけではない」
    と主張したかったらしい。
    
    他者と競争して優劣を決めることから、
    結果として格差は生まれる。
    それはたしかに、
    進歩を促す、ひとつの要因にはなっているのだろう。
    
    しかし・・・。
    
    世界の現実を直視すると、
    拡大する格差が、
    すでに世界を、
    「荒涼たる死の世界」に近づけていることも事実だ。
    
    
    反格差論を唱える人たちは、
    その格差の負の部分を重くみて、
    憂慮しているはずで、
    論よりなにより、
    自分や家族が瀕死の状態に陥っていけば、
    悲痛な叫びをあげるしかないだろう。
    
    格差、とくに貧困を元凶とするものは、
    弱者を狙い打ちする。
    不幸にして、その当事者として被害をうける者は、
    「格差ゼロの世界は、
    荒涼たる死の世界である」
    などと、評論家を気どってはいられない。
    
    この科白は、
    荒涼たる死の世界からとおく離れて生きる者の、
    当事者感覚か欠落したツブヤキだ。
    
    格差が多かろうが、少なかろうが、
    いま、ぼくたちが生きる世界のあちこちに、
    荒涼たる死の世界が広がっている。
    
    ぼくが、そして君が、
    明日、
    そこへ足を踏みいれることは絶対にないと、
    誰が保証できるだろうか。
    
    死の世界は、
    生の世界と、
    薄紙一枚を隔てたところに、
    横たわっているのだ。
    
    
    
    
    
  

Posted by kimpitt at 15:15Comments(2)