2012年07月28日

最初の5分間が スリリング  「ダークナイト・ライジング」




    「メメント」で鮮烈にデビューし、
    「フォロウィング」「インソムニア」、
    そして「バッドマン・ビギンズ」
    「ダークナイト」のあと、4年ぶりに、
    「ダークナイト・ライジング」を手がけた、
    クリストファー・ノーラン。

    
    最初に言っておくけれど、
    この大作・問題作の大きな欠点は、長いことである。
    なんと!2時間45分。

    
    2時間15分を過ぎたあたりから、
    半ば腰を浮かせて、「もう終われよ」と、
    もうひとりのボクは、つぶやいていた。

    
    オシッコが出たかったわけではない。
    もう、それだけのり時間をかけて描くものは、
    残っていなかったのだ。

    
    事実、シネコンでは、
    エンドクレジットになるやいなや、
    席を立つ人が少なくなかった。

    
    
    しかし。
    空中ブランコをしてる飛行機が、
    胴体がまっ二つになって、
    乗っていた人が空中に散っていくオープニングは、
    高所恐怖症のボクには、
    あまりにもあまりにも、たまらなくスリリングで、
    もう3回くらい見たくなった。

    
    
    このアクション超大作は、
    ヒーローのいない映画といえる。
    少なくともそこには、
    強くて正しくて逞しい男は、登場しない。

    
    
    つまり、ありきたりのヒーローを登場させないところが、
    「アメージング・スパイダーマン」と似ている。

    
    そして、その「ありきたりでなさ」は、
    主人公のキャラクターにも反映されていて、
    ダークナイト・バットマンは、いわゆる正義の味方ではないし、
    その他の登場人物も、
    オーソドックスな悪役とは、ひと味もふた味も異なっている。

    
    これは、
    なにごとも善悪二元論に収斂したがるパンピーには、
    不満かもしれないが、
    政治も経済も、そして差別や貧困すらも、
    かなり複雑化してしまった現代社会では、
    非二元論こそ、リアリティをもつというべきだろう。

    
    
    それにしても、クリスチャン・ベールもトシをとったし、
    マリオン・コティヤールは、無名時代の勝間和代みたいだし、
    スター陣は、スターらしくない扱いで侘しかったけれど、
    若い警官役のジョセフ・ゴードン=レヴィットだけは、
    クリストファー・ノーランが、
    「インセプション」に続いてふたたび起用しただけあって、
    凜として清潔感のあるキャラがうまく生かされて、
    印象に残った。

    
    
    それにしてもそれにしても、ヒース・レジャーに、
    もう一度会いたかったなあ。

    
    
    ところで、興行成績は、どうなるか。
    男は、「ダークナイト・ライジング」!
    女は、「アメージング・スパイダーマン」?

    
    長くてクドイとはいえ、
    アクション・シーンで見せ場の多い前者が、
    勝ちそうだなあ。
    つんつん。

    
    
    
    
   
  

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2012年07月26日

寛容とはなにか  ノルウェイ映画 「孤島の王」





2011年 7月、
ノルウェイで、テロ事件が起きた。

77人を殺害した被告に判決がくだされるのは、
8月 24日。
もっとも重い刑罰になるとして、
「禁錮21年」だ。

なぜなら、ノルウェイには、
死刑も終身刑もないからである。

その事件の折、
運よく殺害をまぬがれた10代の少女いわく・・・・
「ひとりの男が、これほどの憎しみを見せたのなら、
私たちは、どれほどに人を愛せるかを、示しましょう」

遺族からも、
死刑を求める声は、まったくなかったという。

ノルウェイ映画「孤島の王」は、
2010年に制作され、2012年に日本で公開された。

ノルウェイに実在した少年矯正施設、
通称「監獄島バストイ」で、
実際に起きた少年たちの反乱を描いたものである。

もちろん、前述したテロは、
この映画とは、まったく無関係に起きたものだが、
事件の描きかたは、
ある意味で、かなり中立的で、
寮長の性的虐待を含む犯罪の描きかたすら、
不思議な清冽さ?に満ちていた。

それは、
悪人をヒステリックに断罪したがる、
いまの日本の風潮の対極に位置するものかもしれない。


ソクーロフの「ファウスト」よりも、
心に残った。



  

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2012年07月24日

アレクサンドル・ソクーロフ  「ファウスト」


    第68回(2011年)のヴェネチア国際映画祭は、
    この作品、
    アレクサンドル・ソクーロフの「ファゥスト」に、
    「グランプリ(金獅子賞)」をあたえた。
    
    
    審査委員長は、あの、
    ダーレン・アロノフスキー。
    
    はっきり言って、
    アロノフスキーの決断は、
    たいへんに勇気ある英断、といえる。
    なぜなら、この「ファゥスト」は、
    これまでのソクーロフの作品のなかでは、
    もっとも難解なものであり、
    テーマは明確であるにもかかわらず、作品そのものは、
    普通の観客が理解できる許容範囲を、
    大幅に超えていて、
    お世事にも魅力的とはいえないからだ。
    
    
    人間の魂は、肉体のどこに潜んでいるのか。
    人間の生とは、なにか。
    欲望とは、なにか。
    人は、いかに生きるべきか・・・・・など、
    根源的で深遠なテーマにアプローチしようとしたソクーロフは、
    かつてなかったほで意欲的・挑戦的・実験的である。
    
    もともと彼は、
    「なんでも、わかりたがり屋」の観客に対して、
    いかなるる説明も用意せず、
    平易な娯楽的要素を敢然と拒否してきたけれど、
    それが、最高の独断の極みに到達したのが、
    この「ファゥスト」といえる。
    
    
    かつて、
    「アメリカ映画は、映画ではない」
    と豪語してやまなかったソクーロフが、
    イタリアの映画祭で、アメリカ人の審査委員長から、
    最高賞を贈られたというのは、
    なんとも皮肉である。
    
    
    1978年に制作に着手した「孤独の声」から、
    20数年。
    
    ぼくが、
    ソクーロフのベスト3を選ぶとしたら、
    「日陽はしづかに発酵し・・・」
    「セカンド・サークル」
    「精神の声」
    ・・・この3本になるだろう。
    
    そして、もしなにかひとつ、
    グランプリ作品を選ぶとしたら、
    「精神の声」になる。
    
    
    難しく語ることで作品の質が上がると思うのは、
    映画を知らない駆け出し監督。
    それに匹敵する無知と傲慢を悲しみたい。



  

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2012年07月21日

〇〇〇〇は嫌だと 泣いた女




 
    山下敦弘監督の「苦役列車」には、
    もうひとつ書き忘れてしまった、
    忘れられないシーンがある。

    
    佳作というと、かなり過少評価で、
    秀作というと、甘すぎる評価になる「苦役列車」は、
    近ごろ珍しく、
    好きな作品、愛すべき作品・・・と、
    あえて言いたい映画です。

    
    それは、
    酒と風俗通いが楽しみな変人作家が書いた作品のため、
    エッチな話題が不自然なくらいたくさん、
    映画にも盛り込まれているから・・・
    ではありません。
    
    

    世間の常識からかけ離れて、
    飄然と生きる変態人間?の主人公に対して、
    差別や偏見のまじった視線を注ぐことなく、
    むしろ非常にフラットな眼差しで、
    結果的にエールを送るような姿勢。
    

    その寛容さに、
    何とも言えない優しさを感じるからです。
    

    
    さて。
    それはそれとして、
    追記しておきたいシーンは。

    
    主人公の北町貫太が、
    フーゾクで遊んだ女とその彼氏と3人でいるとき、
    彼氏が彼女に、サンピーをやろうと強引な誘いをかけ、
    女が嫌がって泣きだす。
    すると彼氏は、
    「なら、動物ごっこでもやろう」と提案し、
    3人で、
    ゴリラとライオンとサルの真似を始める。

    
    ピンク映画ならともかく、
    こんなシーンには滅多にお目にかかれないのだが、
    これを、エッチな行為としててきなく、
    歪んだ欲望を、
    滑稽でもの悲しい生きざまとして活写した山下監督。

    
    いや、
    これを「歪んだ欲望」と決めつけることは、
    このさい慎むのが礼節というべきだろう。

    
    
    お行儀が良く、嘘っぽい観念論から離れて、
    人間をしっかり見つめようとした山下監督たちに、
    惜しみない拍手を、ぼくは送りたい。

    
    
    
   
  

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2012年07月20日

「苦役列車」の 魅力と欠点

 
    忘れられない名シーン、
    といえるものが、数カ所ある。

    
    ひとつは、
    貫太と高橋(日雇いの仕事仲間)が酒場にいるシーン。
    カラオケで、「襟裳岬」が流れてくる。
    その下手な歌いぶりにむかついた高橋が、
    松葉杖でヨタヨタと歩み寄り、
    マイクを奪い取って歌い、終わると席へ戻り、
    吐き捨てるように、
    「夢なんかなんの役にも立つもんか」
    おそらくは自分に言い聞かせるかのようなセリフ・・・
    社会の澱のようになって底辺で生きる男の悲しみが、
    胸をつく。

    
    
    ひとつは、
    貫太と日下部(バイト仲間の大学生)と康子(古本屋のバイト店員)
    の3人が、人けのない海辺で、
    その場の勢いで、つぎつぎと下着姿になって海に入り、
    はしゃぐシーン。

    
    いずれも冴えない若者といえる彼や彼女たちの、
    やり場のない鬱屈を無為に発散させる束の間の逸脱が、
    じつに鮮やかに描写され、
    若き日のトリュフォーかゴダールかと。
    

    
    ひとつは、
    康子のアパートの前で、夜、
    すぶ濡れになったまま立ちつくす貫太と、
    そこへ帰宅してきた康子。
    やにわに康子に抱きつこうとして倒れた二人。
    「やりたい」と口ばしる貫太を、
    オデコでどつく康子は、
    「友だちでなくなってもいいの?」


    
    一方的な口説きのラブシーンは、
    滑稽で、みょうにせつなく、
    物理的な汚さと幼稚さが冴えわたる、
    傑作なラブシーン。

    
    
    
    まだ、ほかにもあるが、
    いずれのシーンも、
    しがない生活にもがく人間が背負った、
    本人たちも気づいていない悲しみ・やるせなさ・辛さが、
    たわいない行動によって鮮やかに描出される。

    
    
    ウマイなあ!
    山下敦弘監督は、とにかくウマイし、
    その人を見つめる目には、
    独特の優しさがある。

    
    俳優たちも、ウマイ。
    森山未来の堂に入った熱演。
    良い意味でアイドルらしさのない前田敦子の純真な表情。
    マキタ・スポーツの鬱屈した佇まい。
    田口トモロウの飄々とした言動(彼は、「あぜ道のダンディ」で、
    傑出した名演技を見せている)

    
    
    「苦役列車」は、
    原作に、かなり手を加えてはいるものの、
    見事にそのニュアンスを映像化し、
    傑作ではなく、
    秀作ともいえないが、
    じつに魅力的な作品になっている。

    
    これは、ひとえに、
    監督の山下敦弘の実力であり、
    脚本の「いまおか しんじ」の力量も無視できないだろう。

    
    しかし、いまひとつ出来上がりに深みがないのも、また、
    山下敦弘監督のせいだといいたい。
    盟友であろう熊切和嘉の「海炭市叙景」の域に迫るために、
    山下敦弘に求められるものは、
    己の映像作家としての才覚を、
    潔く捨てることかもしれない。


    
    
    
    
  

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2012年07月18日

カフカ   父への手紙 




生活無能力者になったのは

自分のせいではない

責任は父親にあるのだ


カフカ 「父への手紙」より
  

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2012年07月13日

高知・愛媛・徳島ではなく 香川





    リバプールは、
    ロンドンから鉄道で2時間半の距離にある、
    イングランド北西部の港湾都市。
    そしてリバプールといえば、
    ビートルズです。
    

    
    しかし、
    「2PM」は知っていても、
    「ビートルズって、なーに?」
    という若者、少なくないです。
    よね?

    
    むしろ、ビートルズを知ってるほうが、
    不自然かもしれない時代。

    
    
    それはそれとして、
    マンチェスターは、
    産業革命で中心的役割を果たした都市として知られ、
    リバプールはその外港。
    マンチェスターで生産された工業製品は、
    リバプール港から世界中に送り出されてきました。

    
    しかしいまでは、
    マンチェスターとリバプールは、
    英国のサッカー界をリードしてきたことで、
    知られています。

    
    そして、マンチェスターといえば、
    やっぱし、香川でしょう。
    高知・愛媛・徳島には無関心でも、
    いま香川は、無視できません。

    
    彼のファション・センスは、
    あの本田のヤーサン路線とは一線を画していて、
    まるで、田園調布で育った良家の少年みたいなのに、
    それがまったくイヤミでないところが、素晴らしいです。

    
    
    ところが、リバプールではホンダの名は、
    ベッカム級の知名度があると、言われてます。
    ただし、ここで言うホンダとは、ケイスケのことではなく、
    車のHONDA。

    
    というのは、11年5月から日本の本田技研は、
    リバプールと3年間のパートナーシップ契約を結んだからです。

    
    そして、これは、
    いかにもという噂なのでずか、
    「本田のリバプール移籍問題が再燃している」
    とか。

    
    本田ケイスケが、
    親しい友人に、
    「自分もビッグクラブにふさわしい選手。
    メッシやクリスティアーノ・ロナウドのように、
    年間40~50点とれるストライカーになるのが目標」
    と、ライバル意識剥き出しの発言をしているそうで。

    
    そして、
    「あれだけ強気な言葉を口にしているのは、
    本田のもとにもビッグクラブからオファーが届いているから」
    と、大手広告代理店が発言しているという話も。

    
    
    マンチェスターとリバプール。
    香川と本田。
    なかなかスリリングな話題です。

    
    もし、実現したら、
    どちらを応援するか。

    
    そりゃ、迷うことはありません。
    香川です、香川。
    ケイケスよりシンジ。
    なんてったって、品格があるもん。
    

    
    
    
   
  

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2012年07月12日

タルコフスキーの号泣




 
    
    このまえ、英国の某DVD通販サイトでは、
    在庫一掃セールをやっていた。
    つまり、英語では、
    「クリアランス・セール」というヤツ。
    

    まあね・・・英国でも日本でも、
    この種のセールは、期待してはならない。
    ようすると、「売れ残り安価処分」だから。

    
    
    と、ハナから侮蔑しつつも、いちおう、
    そのリストを覗いてみると。

    
    ドカーーーーン!
    これは、掃き溜めの鶴?

    
    タルコフスキーのDVD・BOXセット!かあった。

    
    「ほくの村は戦場だった」
    「アンドレイ・ルブリョフ」
    「鏡」
    「ストーカー」
    「惑星ソラリス」
    「ノスタルジア」
    「サクリファイス」

    
    
    この7枚組が、
    「34・99ポンド」=4500円(送料別)・・・
    ということは、1枚あたり、約643円!

    
                                       区
    こりゃ、泣きます。
    天国のタルコフスキーも、
    地獄のキムピットも、
    号泣します。

    
    1枚あたり、約643円!
    

    東アジアの辺境JAPANにおいて、
    タルコフスキーのDVDは、
    1枚が、5000円を超す値段だというのに。

    
    
    も、も、もちろん、
    オーダーしました。

    
    
    で、ついでに卑しいタレコミをすると、
    このクリアランスのなかには、
    あのパゾリーニの「ソドムの市」のBRも、
    燦然とリストされていました。
    お値段は、「7・99ポンド」=約1000円。
    これも破格の安値です。

    
    そして、ノーマスク。
    つまり、ボカシは、はいっていません。

    
    
    それにしても、
    英国では1000円のものが、
    日本だと、なぜ数千円になってしまうのか。

    
    イタリア語から英語字幕をつくるのと、
    イタリア語から日本語字幕をつくるので、
    なにか、ものすごくハイコストなことが起きるのか?

    
    ひとつだけ考えられるのは、
    市場の広さ/狭さ、です。

    
    日本語字幕いりのものは、
    日本人以外、まず買わないのに対して、
    英語字幕入りのものは、
    アメリカでも、オーストラリアでも、カナダでも、インドでも、
    売れるかもしれません。

    
    
    なにはともあれ、
    日本人のシネフィルは、
    インターナショナルに不幸です。


    
    
    
    
   
  

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2012年07月11日

コカンと セイキは  別物である 




 
    
    「古今和歌集」について語りたいのだけれど、
    ここが、それに相応しい場ではないことくらい、
    ぼくにだって、わかります。
    ぼくにだって、ヒトナミの常識はあり、
    場の空気を読む知恵も、備わっているつもりです。
    
   

 
    だ・か・ら、ここでは、
    「コキンワカシュウ」ではなく、
    「コカンワカシュウ」について語ることにします。
    

    まあね。
    「キ」と「カ」の違いなんぞ、
    長い人生にとっては、
    そんなに大事なことではないとは思います。

    
    しかし、漢字に変換すると、
    「コカンワカシュウ」は、
    「股間若衆」になるので、
    東北で起きた想定外事件ほどてはないとしても、
    かなり、想定外っぼいこと・・・ かもしれません。

    
    
    では、まず、
    「股間」とはなんなのか。
    その定義を確認しておきましょう。

    
    三省堂の国語辞典によると、股間とは、
    「またのあいだ、またぐら」。

    
    うーん。
    この説明は、あまり親切ではありません。

    
    そこで、「また(股)」をひいてみると、
    「一つのもとから、二つ以上に分かれているもの。
    胴から足が分かれ出るあたり、ひざから上の部分をさす。
    すぐ上に、陰部、会陰に接する。」

    
    なるほど。
    この定義によると、
    「股間」と「陰部」は、まったく別のもの、
    だということを確認できます。

    
    
    さて、それで。
    「股間若衆」に話を戻しますと、
    これは、このほど発刊された書籍の名称で、
    著者は、木下直之さんという東大教授。
    出したのは、新潮社。
    お値段は、1800円。

    
    ちなみに木下さんの専門領域は、
    文化資源学とのことです。

    
    
    で、この本の内容なのですが、
    男性の股間、つまり、
    「一つのもとから、二つ以上に分かれているもの。
    胴から足が分かれ出るあたり、ひざから上の部分」
    について書いたものではなく、ずばり、
    男性の股間ではなく、
    股間に付着、あふるいは隣接する〇器について、
    彫刻がどういう表現をしてきたかを、
    フィールドワークしたもので、
    「芸術新潮」に掲載されたものが、
    単行本となった・・・
    そういう代物なのです。

    
    
    なので、ぼくは、いささか違和感があります。
    なぜなら、著者は、
    股間ではなく、〇器の表現について研究したのに、
    なんで、「股間」という用語を用いたのか。

    
    もし、中身を正確に表す書名にするなら、
    「男性裸体彫刻にみる〇器表現の歴史」
    みたいなものになるはずなんですね。

    
    この著者も、出版社も、
    「股間」と「〇器」がまったく別物である、という、
    基本認識が欠けています。

    
    くどいようですが、
    股間は、陰部ではありません。
    これは、別の部位を例にしていえば、
    口と言いつつ、歯のことを話しているみたいなもの、
    だと思いませんか。
    

    
    
    
   
  

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2012年07月09日

ヴィトゲンシュタインは カフカを〇〇〇する




9月にグループ絵画展をやるので、
いま、作品と格闘しています。
これ、師匠に見せたら、「いいね。もういじるな」


マジすか?



「ヴィトゲンシュタインは カフカを〇〇〇する」
というタイトルにするつもりなのに。


  

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