2014年07月01日

心まで インストールできるか  トランセンデンス



    スクリーンでジョニー・デップの顔を見るなんて、
    もしかしたら10年ぶりかもしれないね。
    

    おうおう、生きていたんだね。
    カリブの海賊くん、よかったね。

    
    
    6月27日公開の「トランセンデンス」!
    AT(人口頭脳)の天才の頭脳を、
    コンピューターにインストールする話。
    

    ただそれだけではなくて、
    その頭脳が全知全能の神のようになり、
    暴走を始める話。
    「トランセンデンス」!
    これは、
    超越という意味らしい。

    
    
    あのクリストファー・ノーランが総指揮をとっている、
    というのが、ひとつの注目点。
    監督のウォーリー・フィスターは、
    「インセブション」「ダークナイト」などで、
    撮影監督をつとめ注目された男。

    
    しかし、一般的な注目点としては、
    やはり「AT」・・・人口頭脳・ロボット問題だろう。

    
    この映画のキャッチは、
    「心までインストールできるか」
    である。

    
    さて、あなたは、
    インストールできると思いますか?

    
    どうやらアメリカの専門家たちのなかには、
    「できる」と考えている人がいるらしい。

    
    でも、どうやって????????????????
    

    心の問題、つまり人間の感情を、
    デジタル・コピーに置き換えられるのか。
    でも、どうやって????????????????

    
    
    いまは、
    ほとんどの映画がデジタル・カメラで撮影されているが、
    この作品は違う。
    35ミリ・フィルムが使われている。

    
    デジタル・カメラにはできないことが、
    アナログ・カメラなら可能になるのか。

    
    あのグーグルでは、
    スイッチをON・OFFするだけの車、
    つまり運転ハンドルを使う必要のない車を、
    現実に売り出そうとしている。

    
    ウムウム・・・ウーーーーーム。
    最先端科学大好き人間は、
    この映画にひかれざるをえないだろう。

    
    
    ところが、
    このドラマのなかでは、
    同じ人口知能研究者でもある恋人の女性が、
    余命1ヵ月と宣告された恋人の頭脳を、
    インストールしてしまうのである。

    
    彼は死んでしまっても、
    彼の頭脳と心は、永遠に残るからだ???

    
    ところが・・・・・ここからは、見てのお楽しみ。
    

    
    映画のエンディングに流れる歌の歌詞は、
    「どんな未来であれ、
    ぼくは、君といっしょにいたい」
    

    この曲は、「ジェネシス」という。
    ジェネシスとは、「創世紀」という意味である。

    
    頭脳と心が、
    コンピユーターで再現できる時代になっても、
    「ぼくは、君といっしょにいたい」

    
    このように人間の愛は変わらない?
    人の心は、古風なままなのである。
    

    なんか、笑いたくなってしまった。
    
    
    
    

  

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2014年06月08日

「真ん中へキスをして」 「それはできません」 




    これは、ミヒャエル・ハネケの再来だ!
    と思った。

    
    海外では、
    ファスビンダーの再来だと言う人もいるらしい。
 
   
    オーストリアの、
    ウルリヒ・ザイドル監督作品、
    「愛」「神」「希望」からなる、
    「パラダイス・欲望3部作」を見た。
 
   
    はっきり言って、久しぶりに、
    打ちのめされた。
    とくに、「神」には、返す言葉もなかった。

    
    
    この作品、ユーロスペースが配給し、
    東京では、2014年2月に公開されている。

    
    
    「予測された喪失」で、
    第3回山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞を、
    「ドッグ・デイズ」で、
    第58回ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を受賞した
    ウルリヒ・ザイドル監督が、
    ドキュメンタリー的な手法を用いて、
    理想を求めて一線を超える女性たちを描いたのが、
    この「パラダイス・欲望3部作」だ。

    
    
    その第一作が、「愛」。
    旅行で向かったケニアで、
    白人女性たちに肉情を捧げ、
    その代償?とてし金銭を受け取る現地の男性たち。
    通称ビーチボーイにのめりこむ中年女性を描いている。

    
    
    シングルマザーのテレサ(マルガレーテ・ティーゼル)は、
    娘のメラニーを姉アンナ・マリアに預けて、
    ケニアにあるリゾート地へヴァカンスに出かける。
    美しい海に面した楽園のようなこの地で、
    テレサの親友インゲ(インゲ・マックス)は、
    現地の若い男性に入れあげていた。
    この地では白人女性をシュガーママと呼び、
    シュガーママに体を捧げる代わりに、
    金銭を受け取って生活している通称ビーチボーイという男性たち。
    インゲの話にそそのかされたテレサは、
    ビーチボーイと接触し、
    彼らから丁寧な扱いや甘い言葉を受け、
    女としての悦びを取り戻すのだが、
    やがて彼らは、
    何かにつけ金銭をせびるようになる。

    
    
    こんなシヘーンがある。
    

    黒人青年とベットインしたテレサの足元に、
    彼は、キスをする。
    もうすこし上も・・・と、彼女はリクエストする。
    それに応じる黒い肌の青年。

    
    彼女は、ふたたびリクエスト・・・
    「もう片方の足にも・・・」

    
    そして、さらなるリクエストは、
    「もっと上まで・・・」

    
    そして彼女は、言う。
    「真ん中にもキスして・・・」
    真ん中とは、両足がひとつになる股の部分を意味している。

    
    青年はしばらく躊躇ったあと、無言のまま。
    催促するテレサに青年は、
    小さな声でつぶやいた。
    「それは、できません」

    
    
    やがて青年は、衣服をまとって、
    部屋から出ていってしまい、
    テレサは、ベッドでひとり、
    すすり泣くのだった。

    
    
    フランスの俊英ローラン・カンテも、
    数年前に、
    「南へ向かう女たち」で、
    黒い肌の青年を買うヨーロッパの中年女を、
    描いている。

    
    つまり。
    これは、彼の地にあっては、
    南北の経済格のメリットを堪能できる
    ごくありふれた行為なのだろう。
    

    もしかしたら、日本の女たちも、
    タイやフィリピンやインドネシアで、
    同じような享楽を、
    ひそかに実践しているのかもしれない。

    
    これもまた、
    ひとつの男女共同参画社会ではないか。
    

    
    
    
  

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2014年06月05日

万歳 !!! サウダーヂ  これが 日本の どん詰まり




 
    ようやく見る機会をえました。

    
    インディーズもインディーズ!
    超インディーズ作品!
    知る人ぞ知る、富田克也の2011年作品、
    「サウダーヂ」!

ム    
    
    山梨県甲府市。
    何の変哲もなく、人通りもまばらな中心街は、
    シャッター通りと化していた。
 
ム   
    不況の土木建築業には、
    日系ブラジル人やタイ人をはじめとする
    様々な外国人労働者たちがいた。
 
   
    ヒップホップグループ「アーミービレッジ」の猛(田我流)は、
    派遣の土方として働き始める。

    
    自己破産した両親はパチンコに逃避、家庭は崩壊。
    弟は精神を病んでいた。

    
    猛の働く建設現場にも、多くの移民たちがいた。
    そこで、土方一筋に生きて来た精司(鷹野毅)や、
    タイ帰りの保坂(伊藤仁)と出会う。

    
    彼らとともに、仕事帰りにタイパブに繰り出す猛。
    タイ人ホステスのミャオ(ディーチャイ・パウイーナ)に会って、
    楽しそうな精司や、
    盛り上がる保坂に違和感を覚え、外国人を敵視する。

    
    精司は、妻の恵子(工藤千枝)が、
    怪しげな商売に手を出し始めたことで、
    ますますミャオにのめりこみ、
    すべてを捨てて彼女とタイで暮らす事を夢想しはじめる。

    
    
    じつは、この監督・富田克也には、
    「国道20号線」という前作があるのだが、
    これは、DVD化されていない。

    
    で、この富田克也は、1972年生まれ。
    東海大甲府高校を卒業し、
    音楽で生きようと上京したが、出口も入口もみつからず、
    いつしか映画の自主制作へ。

    
    じつは彼、
    若き日の高倉 健に似たイケメンなのです。
    とても、ど田舎甲府の育ちには、
    見えません。

    
    
    そこで、「国道20号線」をひっさげて、
    東京の配給会社に相談したのですが、
    「こんなもの、客から金取って見せるシロモノではない」
    と、突き返されてしまいました。

    
    
    たしかに、たしかに、
    配給会社の言うことは正しくて、
    とても金を払って見せる域には達していない作品。

    
    逆に言えば、
    だからこそ、めたくそ面白いのですが。
    爆笑。

    
    
    で、さる人に言わせると、
    「しいて言えば、暗く行き詰まった街として、
    函館を舞台に描かれた群像劇〔海炭市叙景〕に、
    タッチが似ているかもしれません。
    もちろん映画としてのあらゆる方法論は違っているのですが、
    なんとなく文学の匂いがするというか・・・。
    ハードボイルド感もあれば、
    アウトロー感というか諦め感もあって」

    
    あ、あああああああああああああっ。
    〔海炭市叙景〕?
    チャンドラー?
    ブコウスキー?

    
    当たらずではなく、大はずれでもあり、
    これらが、もし大学生的作品だとしたら、
    富田の作品は、生後2カ月の幼児の作品くらい。

    
    でもねえ、


    このようなザラザラ感でなければ、
    地方都市の疲弊や、
    建設現場で働く在日外国人のいまは、
    描けない・・・というより、
    これが最適の表現方法なのかもしれない。
    

    
    タイトルの「サウダージ(saudade)」とは、
    「懐かしさ」
    「郷愁」
    「もう戻る事の出来ない、悩みもなく楽しかった幼き日々への想い」
    という意味らしいが、
    その意味を知ると、
    ジーンと来る人もいるだろう。

    
    
    では、最後に、
    インタビューで口にしていた富田語録を。
    

    「土木工事、掘って掘って掘りまくれ、ブラジルまで!」
    「人と人の衝突で生まれるエモーションや出来事は、
    けっして物語的推進力は産まないのです。
    淡々と、湧き出るカサブタのようなものが積み上がっていくだけ」
    「希望も絶望も、風が吹きゃ飛んでくし、
    雨が降りゃ地面に染み込んでいくんです。
    未来なんかありゃしないんです!
    「いろいろなニュースを見るたびに、
    日常レベルでは気付かない瓦解寸前に、
    今の我々はいるのではないかと思うんです。
    なにか恐ろしい急落が、
    僕らの背後に忍び寄っているんじゃないかと」
    「それらは日々の細々した出来事や感情に紛れて、
    見えにくくなっているし、見たくない」
    「物語は、終末に向かって加速度的に、
    〔どん詰まり感〕を強めていくのです」
    



    
    
    
  

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2014年06月02日

不倫は 人間らしさの証なのか  8月の家族たち





    メリル・ストリープとジュリア・ロバーツが、
    初競演で母と娘になり、激突する・・・・・
    と聞いただけで、
    十分話題性があり、食欲をそそられるけれど、
    見てみたら、
    予想はドンピシャリ!

    
    じつに見応えがあり、
    考えさせられる作品だった。

    
    プロデューサーは、あのジョージ・クルーニー。
    この人、
    出演している作品にはくだらないものが多いけれど、
    制作作品は、けっこう素晴らしいなあ。

    
    それにしても、
    かつての美女2人の、
    見るも無残なオバサン/オバーサン姿には、
    絶句するしかない。

    
    劇中でも、彼女たちは、
    「女は、年齢を重ねれば、ただ醜くなるのみ」
    と、豪語しているけれど、
    同じセリフを他人から聞かされると深く傷つくが、
    自分で言うぶんには、なにも傷つくことはない。

    
    そうですよね???

    
    そして、しかも、
    その「醜くなりかた」の落差が、
    美女ほど酷いというこであれば、
    美女でない女たちは、
    なんと癒され、心が休まることだろう。

    
    これは、祝福以外のなにものでもなさそうだ。

    
    
    さて、ドラマの舞台は、オクラホマ。
    8月のクソ暑い真夏日に、
    父親が失踪してしまったという知らせで、
    3人の姉妹が、実家にやってくるところから始まる。

    
    固くて生真面目、どうかすると暴走しやすい長女バーバラ、
    (ジュリア・ロバーツ)
    ひとり地元に残り、秘密の恋をしている次女アイビー、
    (ジュリアン・ニコルソン)
    自由奔放でしゃべり出したら止まらない3女カレン。
    (ジュリエット・ルイス)
    
    それを迎えるのが、
    薬物中毒気味の毒舌家で気が強い母親バイオレット。
    (メリル・ストリープ)

    
    
    やがて湖で父親の遺体が発見され、
    死因は事故ではなく、自殺らしいことがわかってくる。

    
    しかし、これまでは序の口。
    葬儀の後の会食から、
    家族の本音と実態が、つぎつぎに暴かれていく。

    
    
    最初は、
    高齢女性の常軌を逸した行動から、
    高齢化と介護問題が軸になっているのかと思いきや、
    父親をはじめとする何人かの不倫が、
    つぎつぎと明るみになり、
    追悼気分など吹っ飛んでしまい、
    会食は、あられもない争いの場と化していくのだった。

    
    
    このまえ見たフランス映画、
    アスガー・ファルハディの秀作「ある過去の行方」もそうだったが、
    まるで人間は、
    映画化のための素材を提供するかのように、
    アイツもコイツも、不倫を繰り返していく。

    
    そうかよ、そうかよ。
    不倫は、人間の生きてる証なのか。

    
    文部省推薦みたいな生きかたをしている自分は、
    はたして人間らしい人間と言えるのか?
    

    アホらしくなってきた。
    まったく、もう。
    


    
      

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2014年05月11日

綾野 剛の すごい秀作  「そこのみにて光輝く」





  まず、
    綾野 剛の話から始めよう。
    
    
この映画「そこのみにて光輝く」は、
    彼をぬきにしては語りにくい作品だからだ。
    

    綾野 剛・・・・・
    岐阜県生まれ。
    身長は、180センチ。
    バストは89センチ。
    ウェイストは、67センチ。
    ヒップは、83センチ。
    靴のサイズは、27・0。
    ただしスポーツシューズは、26・5。
    血液型はA。
    趣味は写真撮影とギター。特技は陸上競技。

    
    幼少の頃、両親が共働きだったために家に独りでいることが多く、
    押入れの中に自分の好きなものを持ち込んで、
    常にそこに入っていたという、内向的な性格。
    他人とのコミュニケーションは苦手なほうだと、
    NHK「朝いち」では語っていけれど、
    イノッチとウドウの前では、
    むしろ能弁ですらあった。

    
    最新作「白ゆき姫殺人事件」でのテレビレポーター役は、
    ある種絶品の演技。
    演技というと熱演の台詞まわしアクションを想像しやすいが、
    綾野 剛は、
    しやべらず動かずの「無言のたたずまい」で、見せる。
    疲れたダメ男役なら、
    彼の右に出る者はいない。

    
    「そこのみにて光輝く」では、
    元建設現場工事人、いまはプータローという役。
    彼の弟分役の菅田将暉と、
    その姉で家族のために売春をする姉の池脇千鶴。
    この2人が、押しの演技で熱演し、
    綾野 剛は、ひたすらそれを受け止めていくのだが、
    彼の「存在そのもの=演技」という役者の様式が、
    じつに見事で、作品も、
    最近の日本映画では、出色の完成度を見せていく。
    

    
    この「そこのみにて光輝く」について、
    綾野 剛は、こう語っている。
    「この作品は、ぼくにとって、
    呼吸というか、分身というか、血液というか、
    ここまで、主観と客観のどちらからも愛せる作品に出会ったのは、
    初めてです。
    自分という存在がひとつ、結実したような感覚になりました。
    そういう経験は過去にはありません。
    そして、スタッフ全員が本気になっていたので、
    ヌルイままでいたら、
    顔も声も撮らないぞと言われているかのようで、
    現場が凄まじいパワーに満ちていました」

    
    
    「そこのみにて光輝く」の原作は、
    佐藤泰志。
    そう、「海炭市叙景」の著作もある、
    不遇のうちに若くして自死した作家。
    

    彼は、函館の出身で、
    じつは、「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」を、
    企画・製作したのは、
    その函館で、喫茶店を経営している、
    菅原和博なる人物なのだが、
    彼が率いる函館市民有志の類まれなる熱意が、
    スタッフとキャスト全員を、本気にさせたらしい。

    
    とにかく、綾野 剛をして、
    「そういう経験は過去にはありません」
    と語らせてしまった秀作「そこのみにて光輝く」は、
    必見の作品といえる。

      

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2014年05月08日

2014年05月08日

2014年05月08日

二人展 「WALL & EGGS」


6日間 

ひたすら疲れました。
  

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2014年04月23日

ジミすぎる あまりにも あまりにも  しかし  「ネブラスカ」




    「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」
    というアメリカ映画を見た。

    
    モノクロで、
    出てくる俳優たちも、ジミ!
    話そのものも、超ジミ!
    1950年代の作品のリバイバルだと言われれば、
    素直に信じてしまいそうなほど、全体がジミ!

    
    監督は、アレクサンダー・ペイン
    

    出演者は、
    ブルース・ダーン
    ウィル・フォーテ(英語版)
    ジューン・スキッブ
    ステイシー・キーチ
    ボブ・オデンカーク(英語版)
    

    ね!?
    ジミです。
    

    最初に脚本を読んだときから、
    監督のアレクサンダー・ペインは、
    高齢の父親ウディ・グラント役に、
    ブルース・ダーンを考えていた。

    
    しかし、配給を担当するパラマウント映画側が、
    ジーン・ハックマン、
    ロバート・デ・ニーロ、
    ロバート・デュヴァル、
    ジャック・ニコルソン、
    ロバート・フォスターといった大物スターを望んでいたため、
    ほかの候補を探すために、
    ペインは50人以上の俳優と会ったのだが、
    やはり、ブルース・ダーンが最適という考えは、
    変わらなかった。

    
    
    インチキなDMを信じ込み、
    当たってもいない賞金を手に入れるために、
    父子がモンタナ州からネブラスカ州を目指す。
    その道中に立ち寄った父の故郷で、
    昔の共同経営者だった父の友人や親戚、知人たちと出会い、
    息子は、両親の隠された実像を知る。
    ようするに2人とも、
    けっこうダラシナイ人間だった・・・というジミな話。
    

    とはいえ、
    認知症とアルツハイマーを患っているらしい父親の言動は、
    奇妙キテレツそのもので、
    人間の老後の残酷な姿を、
    観客に突きつけてくる。

    
    その意味からすると、
    ミヒャエル・ハネケの「愛、アムール」とともに、
    高齢社会の戦慄すべき現実が、
    ものの見事に映像化されている、
    というべきだろう。

    
    そして、この作品は、
    第66回カンヌ国際映画祭の、
    コンペティション部門でパルム・ドールを争い、
    ブルース・ダーンが男優賞を獲得した。
    

    また、米国アカデミー賞では、
    作品賞、監督賞、主演男優賞、
    助演女優賞、脚本賞、撮影賞にノミネートされた。
    

    このほかにも、
    全米映画俳優組合賞、
    ゴールデングローブ賞、
    全米映画批評家協会賞、
    ハンブルグ国際映画祭、
    ニューヨーク映画祭、
    ボストン映画批評家協会賞、
    デトロイト映画批評家協会賞、
    サンフランシスコ映画批評家協会賞、
    セントルイス映画批評家協会賞、
    ダブリン映画批評家協会賞、
    トロント映画批評家協会賞、
    バンクーバー映画批評家協会賞、
    アイオワ映画批評家協会賞、
    ノースカロライナ映画批評家協会賞、
    などで、ノミネートされたり、
    受賞したりしている。
    

    監督のアレクサンダー・ペインは、
    1961年、ネブラスカ州オマハ生まれ。
    カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の映画科で、
    修士号を取得し、
    卒業作品「The Passion of Martin 」が、
    サンダンス映画祭で上映され、早くから注目された。
 
   
    その後、1996年、
    「Citizen Ruth」で長編映画監督デビューを果たし、
    ミュンヘン映画祭最優秀賞を受賞する。
    続くリース・ウィザースプーン主演の
    「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!」では、
    全米脚本家組合賞、
    ニューヨーク映画批評家協会賞の最優秀脚本賞を受賞。
    アカデミー賞脚色賞にノミネートされ、
    期待の新進監督としてその名を知られるようになる。
    

    名優ジャック・ニコルソンを主演に迎えた
    「アバウト・シュミット」は、
    カンヌ国際映画祭のコンペティションでプレミア上映され、
    ゴールデン・グローブ賞脚本賞を受賞し、
    監督賞にもノミネートされる。
    全米で大ヒットした「サイドウェイ」では、
    アカデミー賞作品賞と監督賞を含む主要5部門にノミネートされ、
    脚色賞に輝いた。
    また、ジョージ・クルーニー主演の「ファミリー・ツリー」も、
    同賞主要5部門にノミネート、
    同じく脚色賞を受賞する。

    
    このように、ど派手な受賞歴前科者なのに、
    日本ては、なんともジミな存在なのです。
    

    不思議!!!!!
    

    この「ネブラスカ」は、
    人間がトシを取るとどうなっていくかを、
    したたかに映像化したもので、
    70歳を超えて生きてしまいそうな予感がする人は、
    全員見ておくべきでしょう。

    
    ぼくは、もともと薄命タイプ、
    夭折タイプといわれているけれど、
    そんな根拠のないお世辞に迷わされることなく、
    なんとしても、早く死ななくてはと、
    肝に命じた次第です。

    
    
    
    

  

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2014年04月22日

ショーン・ペンは 夢見る統合失調症か  「きっとここが帰る場所」



 
    「きっとここが帰る場所」・・・・・
    This Must Be the Place

    
    この映画は、
    2011年のイタリア・フランス・アイルランド合作。

    
    2008年の第61回カンヌ国際映画祭で、
    「イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男」が審査員賞を受賞し、
    それを監督したパオロ・ソレンティーノが、
    同映画祭の審査委員長を務めた俳優ショーン・ペンと意気投合して、
    のちに制作されたたのが、この「きっとここが帰る場所」である。
    

    じつにじつに不思議な映画なのだが、
    こういう物語。

    
    
    かつての人気ロックスターであるシャイアンは、
    アイルランドのダブリンにある豪邸で、
    妻と半隠遁生活を送っている。
    今でも現役当時の派手な女装メイクとファッションをしている
が、
    付き合いがあるのは、
    近所のロック少女メアリーなどごくわずかである。

    
    さて、ある日のこと。
    故郷のアメリカから、
    30年以上も会っていない父親が危篤だ・・・
    との連絡が来る。

    
    飛行機が苦手なシャイアンは船で向かったため、
    結局、臨終には間に合わなかった。
    

    葬儀の後、
    ホロコーストを生き延びた父が、
    自分を辱めたナチスのSS隊員アロイス・ランゲを、
    執拗に探し続けていたことを知ったシャイアンは、
    父に代わってランゲを探す旅に出る。

    
    ランゲの妻ドロシーや孫娘のレイチェル、
    その息子のトミーなどに目的を隠して会い、
    ようやく見つけた隠れ家は、
    すでにもぬけの殻になっていた。

    
    そこに、
    ナチスの残党狩りのプロであるミドラーが現れる。
    じつはシャイアンが渡していた資料をもとに、
    ミドラーは既にランゲの行方を突き止めていたのだ。
    

    ミドラーに案内されたランゲの隠れ家で、
    シャイアンは、
    ランゲから当時どのような辱めを、
    父にしたのかを聞かされる。

    
    それは、
    けしかけた犬に脅えて、
    小便を漏らしたのを笑うというものであった。

    
    シャイアンは父の「復讐」として、
    ランゲを全裸にして雪景色の屋外に放り出す。
    

    旅を通じて父親へのわだかまりを解いたシャイアンは、
    飛行機に乗り帰国。
    派手なメイクとファッションをやめ、
    素のままの「大人」の姿で、
    ダブリンの街に帰って来た。

    
    
    ・・・・・・・?
    こう紹介すると、
    なにかとても不思議なドラマのような印象になるが、
    事実、
    美しい悪夢のような画面が連続し、
    あたかも狐につつままれたかのように、
    奇妙にドラマが展開されていく。
    

    じつは・・・・もしも、
    パオロ・ソレンティーノも、
    ショーン・ペンも、
    統合失調症だと知れば、
    すべてが納得できてしまいそうな、
    そんなお話。

    
    
    とにかく一見の価値はあります。
    不思議大好き、正常良い子キムでした。
    
    

    映画を見終わって、
    どこかに帰る場所があるということは、
    たとえそれが、どこであるにせよ、
    とても素晴らしいことを、
    実感しました。



    
    
    
    

  

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