2012年07月24日
アレクサンドル・ソクーロフ 「ファウスト」
第68回(2011年)のヴェネチア国際映画祭は、
この作品、
アレクサンドル・ソクーロフの「ファゥスト」に、
「グランプリ(金獅子賞)」をあたえた。
審査委員長は、あの、
ダーレン・アロノフスキー。
はっきり言って、
アロノフスキーの決断は、
たいへんに勇気ある英断、といえる。
なぜなら、この「ファゥスト」は、
これまでのソクーロフの作品のなかでは、
もっとも難解なものであり、
テーマは明確であるにもかかわらず、作品そのものは、
普通の観客が理解できる許容範囲を、
大幅に超えていて、
お世事にも魅力的とはいえないからだ。
人間の魂は、肉体のどこに潜んでいるのか。
人間の生とは、なにか。
欲望とは、なにか。
人は、いかに生きるべきか・・・・・など、
根源的で深遠なテーマにアプローチしようとしたソクーロフは、
かつてなかったほで意欲的・挑戦的・実験的である。
もともと彼は、
「なんでも、わかりたがり屋」の観客に対して、
いかなるる説明も用意せず、
平易な娯楽的要素を敢然と拒否してきたけれど、
それが、最高の独断の極みに到達したのが、
この「ファゥスト」といえる。
かつて、
「アメリカ映画は、映画ではない」
と豪語してやまなかったソクーロフが、
イタリアの映画祭で、アメリカ人の審査委員長から、
最高賞を贈られたというのは、
なんとも皮肉である。
1978年に制作に着手した「孤独の声」から、
20数年。
ぼくが、
ソクーロフのベスト3を選ぶとしたら、
「日陽はしづかに発酵し・・・」
「セカンド・サークル」
「精神の声」
・・・この3本になるだろう。
そして、もしなにかひとつ、
グランプリ作品を選ぶとしたら、
「精神の声」になる。
難しく語ることで作品の質が上がると思うのは、
映画を知らない駆け出し監督。
それに匹敵する無知と傲慢を悲しみたい。
Posted by kimpitt at 21:37│Comments(0)