2012年04月20日

EPISODE 7 ■ 患者の告白





    
    EPISODE 7 ■ 患者の告白
    

    
    手術室     1日
    ICU     3日
    ICUの個室  3日
    そして、ようやく一般病棟へ。


    
    病院内を、慌ただしく移動した1週間。
    それは、病状や治療にもとづく対応だったけれど、
    もうひとつ理由かあった。

    
    静岡私立静岡病院のハートセンターは、
    設備も医師も揃っているため、
    県内各地から病人が担ぎ込まれ、
    いつも、空きベッド待ちの状態が続いている。
    そのため、患者の滞在期間は短く、
    めまぐるしく回転していくのだ。

    
    
    さて、ぼくは、
    東館7階760号室に移動した。
    その部屋は、7階の端の角部屋で、
    ナースステーションから一番遠い。

    
    重病の患者は、手がかかるため、
    近い病室に集められ、
    彼らは滞在期間も長くなりやすい。
    ところが、軽い患者はすぐに退院するため、
    出入りが激しい。

    
    それと、軽い患者は、
    自力で動けるし、体力があってヒマなので、
    患者同志でしゃべったりしている。

    
    そして相部屋の場合、
    遅く入ってきた人は、どうしても部屋の空気を読んで、
    受け身で対応というか、
    その部屋に同和していくことになる。

    
    ぼくに続いて760号室に入ってきたのは、
    「Oさん」。
    40代半ばっぽい男。

    
    最初の雑談のとき、
    ロックが好きとか言ったため、
    にわかに親しくなっていき、
    彼から、とんでもない浮気体験を聴くことになった。

    
    それは??????????
    


    
    
    
   

    
  

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2012年04月19日

カフカに なれない


逆立ちをしたって

宙返りをしたって

カフカには なれないのにね

  

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2012年04月19日

EPISODE 6 ■ 男性の看護士



    EPISODE 6 ■ 男性の看護士
    

    
    リハビリ訓練が無事に済んだため、
    翌日の午後、
    いよいよICUを抜けて、
    一般病棟へ移ることになった。

    
    東館7階760号室である。
    その部屋は、7階の一番端の角部屋で、
    ベッドは4台。
    先住民の病人は誰もいなくて、
    ぼくは、窓際の明るいベッドだった。

    
    
    この東館は新築3年目。
    建物の内部設計が病院臭くなく、
    色彩もモダンだった。
    手術室とICUは5階にあり、
    7階は、すべて心臓関係の患者が入れられていて、
    ぼくは、一番奥の角部屋、760号室。
    人の出入りが少なく、とても静かなフロア。

        
    ヤッホー!
    まるでリゾートホテルみたいな雰囲気じゃん!

    
    村上春樹の本
    シーブリーズのボトル
    ヒルフィガーの小銭入れ
    などを窓際に並べて、
    冷蔵庫には、エビアンのミニボトル。

    
    スリッパの代わりに、
    ADIDAS(スタンス・スミス・スタイル)の赤いスニーカー。

    
    痛みや苦しさがないおかげで、
    病室を自分らしく飾るところへ気が回った。

    
    若い女性の看護士は、
    めざとくヒルフィガーなどに反応した。

    
    そういえば、ICUには、
    男性の看護士が何人もいた。
    最初は医師と勘違いした。
    彼らは、そのくらいきびきびと動いていた。

    
    静岡市立静岡病院には、
    40名近い男性看護士がいるとのことだった。
    


    
    
  

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2012年04月18日

「テザ 慟哭の大地」  エチオピア映画



 
    わが母と祖国のために、
    私は還ってきた。
    記憶と現実の彼方に、なにが見えるのか?
    権力の支配と格差に苦しむアフリカ大陸の光と影を描く・・・
    壮大な叙事詩>>>>>>
    エチオピア映画「テザ 慟哭の大地」を見た。
    

    
    激動の70年代を背景に、
    医者を志して祖国エチオピアを離れ、
    ドイツに留学していたアンベルブル。
    しかし、外国での人種差別と、
    皇帝ハイレ・セラシエの支配から
    軍事独裁政権に取って代わった祖国の現状に失望しつつも、
    彼は、
    荒涼とした故郷の村に帰ってきた。

    
    村で待つ母と村人たち。
    その中に佇むひとりの謎の女性アザヌ。
    蘇ってくる幼少期の記憶と大地の霊、
    忘れることができない夢に導かれるようにアンベルブルの意識は、
    過去と現在を行き来する。

    
    そこに迫りくる独裁と暴力の影。
    祖国に未来はあるのだろうか。
    その先に見えてくる希望の光とは?

    
    監督は、
    「三千年の収穫」で知られるエチオピアの映画作家、
    ハイレ・ゲリマ。
    世界的に評価の高い巨匠だが、
    この「テザ 慟哭の大地」が、日本劇場初公開作品。
   
 
    上映時間は、140分。
    さながら、
    エチオピア版の「NHK・日曜大河ドラマ」を連想してもいい、
    起伏に富んだ大作だが、
    部分的には、
    タルコフスキーを連想させるような映像もあって、
    DVDをわざわざスイスから取り寄せただけの価値は、
    十二分にあった。

    
    
    皇帝ハイレ・セラシエの名前は知っていても、
    エチオピアの歴史に疎く、
    しかも英語字幕を読み切ることに自信はなかったけれど、
    ほかの資料を参考にしつつ、
    物語のあらすじを、書いておくことにしよう。

    
    
    物語

    
    ■帰郷、母のもとへ・・・1990年

    
    生まれ故郷であるエチオピアの
    荒涼とした村へ帰郷したアンベルブル。
    その姿は片方の足を引きずり、疲れ果てた様子だった・・・。
    時は1990年。
    村には年老いた母と、
    その母と同居するひとりの女性アザヌが待っていた。
    兄をはじめとする村人たちの見下すような目が、
    アンベルブルに刺さる。

    
    ■希望を胸に・・・ドイツ 1970年代

    
    医者を志し、祖国を離れドイツに留学したアンベルブル。
    そこには同じ志を持ち、夢を語る仲間達もいた。
    恋人のカサンドラ、親友のテスファエとその白人の恋人ギャビ。
    ギャビはテスファエの子を身ごもっていた。
    カサンドラは、テスファエとギャビに、
    白人社会で黒人が生きる困難さを説く。
    外国で暮らすエチオピア人の彼らにも、
    祖国の変化が少しずつ伝わってきてはいた。
    エチオピアの政変。
    皇帝ハイレ・セラシエの支配から、
    マルクス主義を標榜するメンギスツ軍事独裁政権へ。
    遠く離れたドイツでテレビに見入るアンベルブルたち。
    「革命」を叫ぶ仲間もいたが、
    アンベルブルは懐疑的だった。
    テスファエとギャビの間には、
    テオドロスという男の子が生まれていた。
    テスファエは家族をドイツに残し、
    新しい国づくりのためにエチオピアに帰国することを決意していた。
    そんななか、
    カサンドラもアンベルブルの前から姿を消してしまった。
    その後の足取りは全くわからない。
    アンベルブルは、
    カサンドラが彼の子供を中絶していたという事実を、
    ギャビから聞かされることになる。

    
    ■革命を夢見て・・・アディスアベバ 1980年代

    
    テスファエが帰国してから数年後、
    祖国の革命の波に飲まれるように、
    アンベルブルはエチオピアに帰国した。
    アディスアベバの空港は軍隊が警備し、
    街中のいたるところで見かける
    マルクスの肖像に違和感を覚えながらも
    課せられた仕事をこなす日々。
    しかし、そこで目にしたのは、
    人間性や社会的価値が奪われた祖国の疲弊した姿だった。
    密告と粛清が吹き荒れ、
    知識層と労働者の階級の対立が目立つようになり、
    喪失感と自分の無力さを実感するアンベルブル。
    そんな彼も反革命分子として尋問にかけられ。
    自己批判を求められる。
    「この国で生きるためには仕方がない」とテスファエに説得され、
    アンベルブルは自己批判に応じる。
    留学で学んだ知識を祖国の医療改善に役立てたいという彼の夢は、
    科学者をも政治目的で利用しようとする軍事政権により
    潰されてしまう。
    そんな矢先、たったひとり信頼を寄せるテスファエが、
    研究所の中で過激分子によって虐殺されてしまう。
    絶望の淵にたつアンベルブル。
    自分も殺されてしまうのか?
    兵士に連行され死を覚悟するアンベルブルだったが、
    殺されたテスファエに代わって東ドイツ行きを命じられる。
    アンベルブルは東ドイツに着くなり、
    テスファエの死を家族に伝えるためにベルリンへ向かう。
    しかしギャビとテオドロスに会ってもなかなか事実を伝えられない。
    成長したテオドロスは、
    白人の社会で黒人の自分が生きていく困難さを自覚していた。
    そして、アンベルブルはそのベルリンで暴徒に襲われ、
    建物の窓から落とされて片方の足を失ってしまった。

    
    ■絶望から始まる未来

    
    片足を失い絶望したアンベルブルは、
    安らぎを求めて故郷の村に帰ってきた。
    この都会から離れた村にも、
    軍政と反メンギスツ勢力との内戦の波が届いていた。
    若者は軍によって強制的に戦場へ駆り出されている。
    村の長老たちは、
    アンベルブルが悪霊に取り憑かれていると思いこみ、
    悪霊を祓う儀式を繰り返す。
    母と暮らす謎の女アザヌの存在も、
    村人たちにとっては疎ましい。
    そんな村人たちに見下されるアザヌの姿が、
    どこか自分自身と重なり、惹かれていくアンベルブル。
    村に戻ってから、アンベルブルは、
    幼少期の記憶と大地の霊のような夢にさいなまれるようになる。
    村の近くには大きな湖があり、
    そこには大きな島があった。
    その島の洞窟には、
    徴兵から逃れようとする少年たちが隠れて暮らしていた。
    その洞窟はその昔、
    エチオピアとイタリアの戦争から逃れた者たちが、
    身を隠していた場所でもあった。
    その島は、アザヌが村人の侮蔑的な扱いから逃れ、
    安息を得ることができる唯一の場所でもあった。
    アザヌはアンベルブルを島に連れていく。
    アザヌが秘密の過去を明かす。
    アザヌは自分の子どもを自らの手で殺していたのだった。
    振り返りたくない過去の記憶を共有するかのように
    惹かれ合うふたり。そして、結ばれることになる。
    やがて独裁と暴力の影が色濃く迫ってくる。
    アザヌはアンベルブルの子を身籠もっていた。
    結婚もせずに妊娠したことが明るみになって、
    村人は魔女狩りのようにアザヌを探し始める。
    アザヌとアンベルブルを島に逃がす母の姿があった。
    そして島の洞窟で産気づくアザヌ。
    それを見守る子どもたち。
    この洞窟には竜が住んでいたという神話が残っていた。
    赤ん坊の産声が響く。喝采を叫ぶ子どもたちとアンベルブル。

    
    
    
    この国に未来はあるのだろうか。
    その先に見えてくる希望の光とは?

    
    物語は、ここで終わっている。
    

    
      

Posted by kimpitt at 17:37Comments(0)

2012年04月17日

カフカに なりたい


これ・・・・・・・
5月に予定しているグループの絵画展に
出そうかと思っている作品です

タイトルが・・・・・・・・・笑えます
「カフカに なりたい」

ね!!!
笑えるだろ???

  

Posted by kimpitt at 16:02Comments(0)

2012年04月16日

EPISODE 5 ■ 心筋梗塞とは なにか



    EPISODE 5 ■ 心筋梗塞とは なにか

    
    
    そもそも、心筋梗塞とは、なにか?
    近親○姦についての知識・経験はあっても、
    心筋梗塞については、なにも知らない・・・
    というのが、凡庸な人民の実態だろう。

    
    そこで、基礎知識。

    
    心筋梗塞とは、
    動脈硬化で狭くなった冠動脈の内側に、
    血栓(血の塊)ができて、血液が送られなくなり、
    心臓の筋肉が壊死することをいいます。

    
    心臓の筋肉は、
    血管が完全に詰まって20分後くらいから、
    血液が十分に行き届かなくなり、それによって、
    心臓の機能が低下したり、脈か乱れたりするようになります。

    
    そして、詰まった冠動脈を再開通させる治療は、
    早ければはやいぼど良く、
    6時間以内なら、
    ダメージを最小限に抑えることができるそうです。

    
    
    ちなみにぼくの場合は、
    30-40分で病院に到着し、
    すぐにオペ室に入れられましたから、
    早いというより、早すぎたのかもしれません。

    
    で、
    詰まった冠動脈を再開通させる治療とは、
    ☆冠動脈に詰まっている血栓を吸引して除去する
    ☆先端にバルーンの付いたカテーテルを冠動脈にいれて、
     血管の狭い部分を広げる
    ☆冠動脈の狭い部分にステント(網目状の金属性チューブ)を入れ、
     血管を押し広げる

    
    これらの手術は、
    足の付け根や腕の血管からカテーテルを通して行い、
    開胸手術をするわけではありません。
    ですから、患者はラクなのですが、
    モニターを見ながらの非常に細かい作業になるため、
    医師にとっては、かなりの困難を伴うそうです。

    
    
    ぼくの場合には、
    冠動脈2本にステントが入り、
    残りの1本は、70%の機能が生きているため、
    そのままになったようです。

    
    
    
    
    
    
  

Posted by kimpitt at 20:20Comments(0)

2012年04月15日

人生の偽証  そして 遊戯




君が嘘をつこうが つくまいが
そんなことは どーーでもいい


生きることそのものが
まるごと偽証でるからには
もはや「真相」なんて
観念の遊戯でしかない


  

Posted by kimpitt at 16:09Comments(0)

2012年04月14日

EPISODE 4 ■ 心筋梗塞の死亡率






EPISODE 4■ 高い死亡率


    
    止血が、なにごともなく済んだ翌日、
    ぼくは、
    ICU内にある個室に引っ越した。

    
    ICUというのは、
    いわば、重症患者の大部屋のようなもので、
    それぞれのベッドと患者を、
    一望・監視できるようになっていた。
    そして、その部屋の壁側に、
    いくつかの個室があり、
    そこは、監視する視線からは外れていた。

    
    ぼくはそこで、初めて、
    ベッドから床に降りることを許された。
    しかし、
    体には、スマホのような監視端末が付着していて、
    動けるのは、あくまでも室内だけ。


    あ、忘れてた。
    酸素吸入も、ずっとやっていた。
    手術直後は、酸素不足で、
    歯磨きすることにも耐えられない心臓があるという。

    
    それでも、
    5日間近く、寝返りもうてない状態だったから、
    ある種の解放感はあった。

    
    ちなみに、手術後の4日間、
    毎日、熱いタオルで全身を拭いてくれた。
    ただし、性器を含む股間は除いて、である。

    
    食事も、食べさせてもらうのではなく、
    自分でできるようになった。
    それはいいのだけれど、
    肝心の食事そのものが、
    動脈硬化予防食のため、
    塩分・糖分・カロリーを制限したもので、
    「味もそっけもない」を絵に描いたような、
    まったく食欲のわかないものだった。

    
    そのせいか、
    体重は、4日間で4キロ減少。
    心臓発作発症以降で明るいニュースは、
    これだけである。

    
    もちろん、最大の朗報は、
    「死ななかった」ことなのだが、
    それは、後になって知っただけで、
    その時点では、
    心筋梗塞が「非常に死亡率の高い病気」であることなど、
    まったく知らなかった。


    
    
    
  

Posted by kimpitt at 20:42Comments(0)

2012年04月13日

エチオピア映画 「テザ」



この作品は、
東京では劇場公開されていても、
地方では上映されないため、
やむおえず、DVDを海外で探して、
取り寄せます。
  

Posted by kimpitt at 19:35Comments(0)

2012年04月12日

EPISODE 3 ■ 心臓止血





    EPISODE 3■ 心臓止血


    
    ICUに入って3日目の夕刻、
    主治医の影山さんが、
    アシスタントの女性研修医を連れて、
    やってきた。

    
    「これから管を抜いて、止血をします」

    
    両足の付け根(内股)の動脈から心臓まで、
    通してあった管を抜いて、
    その傷口を止血するのである。

    
    「あなたのいのちに関わる作業なので、
    終わるまでじっとして、絶対に動かないでください」

    
    ようするに、
    腕から採血をしたときなど、
    注射針を抜いてあとにガーゼを当てて、
    テープで止めて、しばらく押さえているという、
    アレと同じ作業だ。

    
    それにしても、
    足の付け根から心臓まで動脈に管を通すほどの技術があっても、
    止血そのものは、医師が手で押さえて止める・・・
    そのローテクに驚いた。

    
    時計で計ったわけではないから、
    あくまで勘によるのだけれど、
    30分を超える時間、
    影山医師と研修医は、
    ぼくの右足と左足の付け根を、
    それぞれ、すこし痛く感じるくらい強く押さえていた。

    
    「もし、傷口が開いてしまったら、
    血が吹き出します」

    
    
    その、あまりに原始的な作業を、
    黙々とこなしている二人は、その時間、
    何を考えていたのだろうか。

    
    彼らを支えているのは、
    単純で退屈な忍耐感なのか、
    それとも、人のいのちを守る使命感なのか。

    
    二人が押さえている局部は、
    ぼくには見えなかったけれど、
    ガーゼに滲む血の量によって、
    血が止まったかどうかを確認するのだろうか。

    
    「はい。終わりました。
    傷口は止めてありますが、
    しばらくは足を動かさないでください。
    もし、ひどく血が滲むようでしたら、
    すぐに看護師に知らせてください」

    
    ああああ・・・・・
    こうして、人のいのちは助けられるものなのだ。

    
    そのとき、ぼくは、
    なんの痛みも抱えてはいなかったし、
    すこしも苦しくはなかった。
    足の付け根を押さえられて、
    ただ、じっとしていただけ。

    
    しかし、それによって、
    自分のいのちは、
    死なずに生き続けていった・・・のだ。
    その、あまりのさりげなさに、
    ぼくは感動していた。
    

   

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