2012年04月18日

「テザ 慟哭の大地」  エチオピア映画



 
    わが母と祖国のために、
    私は還ってきた。
    記憶と現実の彼方に、なにが見えるのか?
    権力の支配と格差に苦しむアフリカ大陸の光と影を描く・・・
    壮大な叙事詩>>>>>>
    エチオピア映画「テザ 慟哭の大地」を見た。
    

    
    激動の70年代を背景に、
    医者を志して祖国エチオピアを離れ、
    ドイツに留学していたアンベルブル。
    しかし、外国での人種差別と、
    皇帝ハイレ・セラシエの支配から
    軍事独裁政権に取って代わった祖国の現状に失望しつつも、
    彼は、
    荒涼とした故郷の村に帰ってきた。

    
    村で待つ母と村人たち。
    その中に佇むひとりの謎の女性アザヌ。
    蘇ってくる幼少期の記憶と大地の霊、
    忘れることができない夢に導かれるようにアンベルブルの意識は、
    過去と現在を行き来する。

    
    そこに迫りくる独裁と暴力の影。
    祖国に未来はあるのだろうか。
    その先に見えてくる希望の光とは?

    
    監督は、
    「三千年の収穫」で知られるエチオピアの映画作家、
    ハイレ・ゲリマ。
    世界的に評価の高い巨匠だが、
    この「テザ 慟哭の大地」が、日本劇場初公開作品。
   
 
    上映時間は、140分。
    さながら、
    エチオピア版の「NHK・日曜大河ドラマ」を連想してもいい、
    起伏に富んだ大作だが、
    部分的には、
    タルコフスキーを連想させるような映像もあって、
    DVDをわざわざスイスから取り寄せただけの価値は、
    十二分にあった。

    
    
    皇帝ハイレ・セラシエの名前は知っていても、
    エチオピアの歴史に疎く、
    しかも英語字幕を読み切ることに自信はなかったけれど、
    ほかの資料を参考にしつつ、
    物語のあらすじを、書いておくことにしよう。

    
    
    物語

    
    ■帰郷、母のもとへ・・・1990年

    
    生まれ故郷であるエチオピアの
    荒涼とした村へ帰郷したアンベルブル。
    その姿は片方の足を引きずり、疲れ果てた様子だった・・・。
    時は1990年。
    村には年老いた母と、
    その母と同居するひとりの女性アザヌが待っていた。
    兄をはじめとする村人たちの見下すような目が、
    アンベルブルに刺さる。

    
    ■希望を胸に・・・ドイツ 1970年代

    
    医者を志し、祖国を離れドイツに留学したアンベルブル。
    そこには同じ志を持ち、夢を語る仲間達もいた。
    恋人のカサンドラ、親友のテスファエとその白人の恋人ギャビ。
    ギャビはテスファエの子を身ごもっていた。
    カサンドラは、テスファエとギャビに、
    白人社会で黒人が生きる困難さを説く。
    外国で暮らすエチオピア人の彼らにも、
    祖国の変化が少しずつ伝わってきてはいた。
    エチオピアの政変。
    皇帝ハイレ・セラシエの支配から、
    マルクス主義を標榜するメンギスツ軍事独裁政権へ。
    遠く離れたドイツでテレビに見入るアンベルブルたち。
    「革命」を叫ぶ仲間もいたが、
    アンベルブルは懐疑的だった。
    テスファエとギャビの間には、
    テオドロスという男の子が生まれていた。
    テスファエは家族をドイツに残し、
    新しい国づくりのためにエチオピアに帰国することを決意していた。
    そんななか、
    カサンドラもアンベルブルの前から姿を消してしまった。
    その後の足取りは全くわからない。
    アンベルブルは、
    カサンドラが彼の子供を中絶していたという事実を、
    ギャビから聞かされることになる。

    
    ■革命を夢見て・・・アディスアベバ 1980年代

    
    テスファエが帰国してから数年後、
    祖国の革命の波に飲まれるように、
    アンベルブルはエチオピアに帰国した。
    アディスアベバの空港は軍隊が警備し、
    街中のいたるところで見かける
    マルクスの肖像に違和感を覚えながらも
    課せられた仕事をこなす日々。
    しかし、そこで目にしたのは、
    人間性や社会的価値が奪われた祖国の疲弊した姿だった。
    密告と粛清が吹き荒れ、
    知識層と労働者の階級の対立が目立つようになり、
    喪失感と自分の無力さを実感するアンベルブル。
    そんな彼も反革命分子として尋問にかけられ。
    自己批判を求められる。
    「この国で生きるためには仕方がない」とテスファエに説得され、
    アンベルブルは自己批判に応じる。
    留学で学んだ知識を祖国の医療改善に役立てたいという彼の夢は、
    科学者をも政治目的で利用しようとする軍事政権により
    潰されてしまう。
    そんな矢先、たったひとり信頼を寄せるテスファエが、
    研究所の中で過激分子によって虐殺されてしまう。
    絶望の淵にたつアンベルブル。
    自分も殺されてしまうのか?
    兵士に連行され死を覚悟するアンベルブルだったが、
    殺されたテスファエに代わって東ドイツ行きを命じられる。
    アンベルブルは東ドイツに着くなり、
    テスファエの死を家族に伝えるためにベルリンへ向かう。
    しかしギャビとテオドロスに会ってもなかなか事実を伝えられない。
    成長したテオドロスは、
    白人の社会で黒人の自分が生きていく困難さを自覚していた。
    そして、アンベルブルはそのベルリンで暴徒に襲われ、
    建物の窓から落とされて片方の足を失ってしまった。

    
    ■絶望から始まる未来

    
    片足を失い絶望したアンベルブルは、
    安らぎを求めて故郷の村に帰ってきた。
    この都会から離れた村にも、
    軍政と反メンギスツ勢力との内戦の波が届いていた。
    若者は軍によって強制的に戦場へ駆り出されている。
    村の長老たちは、
    アンベルブルが悪霊に取り憑かれていると思いこみ、
    悪霊を祓う儀式を繰り返す。
    母と暮らす謎の女アザヌの存在も、
    村人たちにとっては疎ましい。
    そんな村人たちに見下されるアザヌの姿が、
    どこか自分自身と重なり、惹かれていくアンベルブル。
    村に戻ってから、アンベルブルは、
    幼少期の記憶と大地の霊のような夢にさいなまれるようになる。
    村の近くには大きな湖があり、
    そこには大きな島があった。
    その島の洞窟には、
    徴兵から逃れようとする少年たちが隠れて暮らしていた。
    その洞窟はその昔、
    エチオピアとイタリアの戦争から逃れた者たちが、
    身を隠していた場所でもあった。
    その島は、アザヌが村人の侮蔑的な扱いから逃れ、
    安息を得ることができる唯一の場所でもあった。
    アザヌはアンベルブルを島に連れていく。
    アザヌが秘密の過去を明かす。
    アザヌは自分の子どもを自らの手で殺していたのだった。
    振り返りたくない過去の記憶を共有するかのように
    惹かれ合うふたり。そして、結ばれることになる。
    やがて独裁と暴力の影が色濃く迫ってくる。
    アザヌはアンベルブルの子を身籠もっていた。
    結婚もせずに妊娠したことが明るみになって、
    村人は魔女狩りのようにアザヌを探し始める。
    アザヌとアンベルブルを島に逃がす母の姿があった。
    そして島の洞窟で産気づくアザヌ。
    それを見守る子どもたち。
    この洞窟には竜が住んでいたという神話が残っていた。
    赤ん坊の産声が響く。喝采を叫ぶ子どもたちとアンベルブル。

    
    
    
    この国に未来はあるのだろうか。
    その先に見えてくる希望の光とは?

    
    物語は、ここで終わっている。
    

    
    



Posted by kimpitt at 17:37│Comments(0)
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