2012年12月02日
映画「カミハテ商店」 無口で飾り気のない謙虚さ
「カミハテ商店」・・・・・・・
これは、
静岡出身の山本起也が監督したもので、
彼の第3作になる。
デビュー作は、「ジム」。
そのつぎが「ツヒノスミカ」というドキュメンタリーで、
これは、彼の祖母を追悼すめために制作されて、
個人色の強い習作だった。
ところが、「カミハテ商店」は、
京都造形芸術大学映画学科を軸にして、
プロと学生が協働して、
年に1本の映画を制作するというプロジェクトの、
第3作目。
プロデューサーを務めたのは、高橋伴明で、
主演は、彼の妻の高橋恵子。
これは、予算がないための起用だという。
ちなみに第1作は、
木村威夫の「黄金歌 秘すれば花 死すれば蝶」
第2作は、
高橋伴明の「MADE IN JAPAN コラッ!」。
そして2013年には、
林海象の「弥勒」が、第4作に予定されている。
物語の舞台は、島根県の隠岐島。
隠岐島は、三つの島からなりたっているが、
そのひとつ「知夫村」に、
「カミハテ」という漁港があり、
漢字では、「上終」と書いて、カミハテと読む。
そこには、「上終断崖」という絶壁かあり、
東尋坊のように、自殺の名所?となっている。
カミハテ商店は、上終のバス停前にあって、
その店で母ゆずりのコッペパンを焼いているのが、
千代という初老の女性(高橋恵子)。
彼女は、無愛想このうえなく、
この場所を訪れる自殺志願者の、
結果的に無言の目撃者のような存在になっているのだが、
彼女自身も、潜在的な自殺志願者のようにみえる。
詩人の谷川俊太郎は、この作品に、
「言葉にされた生きる意味ではなく、
言葉にならない生きる手触りを感じさせてくれる映画。
無口で飾り気がないところが好きてす」
というメッセージを寄せている。
たしかに!
この作品では、
いわゆる大衆的な映画に不可欠な「観客のための説明」的な描写は、
ほとんど皆無に近く、
映像の解釈は、すべて観客の想像力に委ねられている。
それは、
谷川俊太郎によれば、
「無口で飾り気がない」となるのだ。
初老の女性・千代の家の棚には、
たくさんの靴が並んでいる。
それは、
崖からわが身を投げて死んだ見知らぬ人たちが、
飛び下りる現場に残していったものである。
人は、外で靴を履き、
家に入るときには、脱ぐ。
自殺する人たちは、
自分の居場所のない現世で靴を脱ぎ、
あの世へ旅立っていくのか。
行く先は、
靴を脱いで入るべき「わが家」なのか。
ラストシーン近くで、千代は、
飛び降りようとしている人を止めにかかる。
それは、よいことなのかどうか。
他人の旅立ちを妨害する権利が人間にあるのかどうか、
この映画は、なにも語ろうとはしない。
それが、素晴らしい。
「カミハテ商店」は、
京都で、
プロと学生が協働する「北白川派(映画芸術運動)」が、
図らずも産み落とした、
生と死を考えさせる秀作。
映画青年が陥りやすい自己撞着的な描写がなく、
その無骨さ・簡素さ、そして謙虚さが、
この作品に、独特な「鈍い光」をもたらしていて、
感動的。
ぼくは、見おわった後に、
ロベール・ブレッソンを思い出していた。
Posted by kimpitt at 21:53│Comments(0)