2012年11月01日
10歳の少年を誘拐・監禁した男 「ミヒャエル」
35歳の独身男性が、
10歳の少年を、
ひとり住まいの自宅の地下室に、軟禁している。
身代金目当ての誘拐かも?・・・・
と思うのは、善良さが取り柄のヒト。
小児○愛者かもしれない・・・・・
と思うのは、性に対して敏感な想像力をもつヒト。
マークマルクス・シュラインツァー監督作品、
「ミヒャエル」(2011年/オーストリア)の主人公ミヒャエルは、
明確には描かれてはいないけれど、
それを暗示する描写が、2-3箇所あって、
まちがいなく、小児○愛者である。
そして、ミヒャエルは、
ある日突然、交通事故で即死してしまう。
彼の母と姉は、やがて遺品整理にやってくる。
なにも知らずに、地下室のドアをひらく母親。
カメラは、半開きのドアのまま、
中の様子は映すことなく、
ぶっきらぼうに暗転。
映画は終わる。
ミヒャエルは、なぜ少年を誘拐したのか。
その少年とは、どういう行為をしていたのか。
彼は、なぜ、そういう性癖をもっていたのか。
淫乱な描写だけでなく、
ドラマの確信に触れるような描写も、いっさいない。
したがって、
小児○愛についての理解も批判も、ない。
ただ、表面的現象を即物的に映像化しているだけだ。
ぼくは、ラストシーンを見たとき、
瞬時に、ミヒャエル・ハネケを連想した。
これはオーストリア映画だし、
そういえば、作品名も、
「ミヒャエル」だ。
で、ネットで資料を調べてみると、
これが初監督作品になるマークマルクス・シュラインツァーは、
これまでに、
ミヒャエル・ハネケ監督の「ピアニスト」(2001年)、
「タイム・オブ・ザ・ウルフ」(2003年)、
「白いリボン」(2009年)の3作品に、
スタッフとして参加していることがわかった。
1971年ウィーン生まれ。
年齢は、4O歳ちょっと。
ははははは、年齢だけではなく作品そのものも、
まるで、ミヒャエル・ハネケ・ジュニアなのである。
人間は、じつにいろいろなものを、
隠したがる。
たとえば、大量虐殺。
たとえば、幼児ポ○ノ。
たとえば、近親相○。
隠すだけではない。
知っているのに、知らないふりもする。
その欺瞞を誇れる者だけが、
社会の繁栄と糜爛に、
まぶしいまでの輝きを与えてしまうのか。
目に見えない闇は、なぜ、
人間社会に射す光に鋭さをもたらしていくのか。
Posted by kimpitt at 22:04│Comments(0)