2012年05月17日
キム・ギドクの鎮魂歌 「アリラン」
キム・ギドク監督作品「アリラン」。
これは、彼自身による彼自身のための、
セルフ・レクイエムともいうべき作品である。
2008年、「悲夢」の撮影時に、
主演女優が、首吊りのシーンで、
あわや事故死かという事件のあと、
彼は、俗世間から姿を消し、
山の中の掘っ立て小屋で、3年間、
自閉的な隠遁生活を過ごしたのだが、
そのセルフ・ドキュメンタリーとしてまとめたのが、
この「アリラン〕である。
撮影中の不測(ではない)の事故のほかに、
信じていた撮影仲間の離反その他、さまざまな事件があり、
それが隠遁の原因のように伝えられている。
しかし、それらは、
彼の隠遁の、単なる「引き金」ではなかったのか、
と、ぼくは思う。
海外で高い評価を受け、国内で不評・・・というのは、
ソクーロフを筆頭に、多くの映画作家に共通する不運なので、
それはいいとして、
キム・ギドクのフィルモグラフィをながめると、
「鰐」(1996年)から始まって、
「悪い女」(1998年)で、頭角を現し、
「悪い男」(2002年)で、世界的な地位を獲得し、
ドイツ資本で制作した「春夏秋冬 そして春」で、
その名声を不動のものにした。
そしてその後に、
ベルリン、ヴェネチア、カンヌを制覇。
こうして、
飛ぶ鳥を射抜くような活躍をみせたのだが、
「サマリア」「うつせみ」「弓」「絶対の愛」「悲夢」は、
やや残酷ないいかたをすれば、凡打だった。
そのことは、
ほかならぬギドク自身が、一番強く自覚していたはずである。
それに追い打ちをかけたのが、
撮影事故、仲間の離反、
そのたさまざまな反動的・批判的な世間の反応。
15年の活動の先に、
これからなにがあるのか。
それは、もししかしたら、
下り坂の逆風人生かもしれない。
「アリラン」は、
そうした覚悟のうえで制作された作品。
これほど率直に、作品で自己を総括した映画監督は、
これまでに存在しなかったのではないか。
これは、
「人生は、サドとマゾと自虐」が口ぐせの、
ギドクらしい鎮魂歌であり、
彼の映画人生を清算する「秀作」だ。
黙祷!
Posted by kimpitt at 16:30│Comments(0)