2012年04月03日
ワン・ビン 「無言歌」
王兵(ワン・ビン)の「無言歌」を、
ついに見た。
2月26日に救急車でICUに担ぎこまれて、
約1か月の入院生活のあいだ、
じっと待ち受けていた作品。
もし、ICUで死んでいたら、
見れなかった作品でもある。
もっともこの間に、
3本ほど、ほかの作品を見てはいる。
「僕達急行 A列車で行こう」
「スモールタウン・マーダー・ソング」
「サクリファイス」
そして、「無言歌」!
この4本の組み合わせが、
なんともいえす魅惑的で、すごい。
ははは。
病み上がりの自画自賛だ。
それにしても、
王兵(ワン・ビン)の「無言歌」には、
圧倒された。
年初に「鉄西区」を見て、
その強靱な精神力にレイプされてしまったのだが、
「鉄西区」を、
ボリュームたっぷりの、ありふれた普通のスープに譬えるなら、
「無言歌」は、
7倍に薄めても、まだ濃い濃縮スープ。
ぼくは、109分間、
ゴビ砂漠の地下牢に幽閉された思想犯になっていた。
キム・ギドクの出現に痺れ、
ジャ・ジャンクーの成長に目を見張ってきたボクだが、
ワン・ビンには、
「驚愕的かつ自閉的な抑圧」という言葉がふさわしいかもしれない。
その抑圧のパワーは、
まず内向して監督自身に向かい、
それが反射して、見る者をも突き刺していく。
ワン・ビンは、語る。
「この作品〔無言歌〕で、ぼくが一生懸命考えていたことは、
歴史に対してどう向かい合うか、ということでした。
準備を含めて完成までの7年間、ぼくを支えていたのは、
歴史に対する使命感のようなものです。
歴史とは、それを記憶する人がいて、
記憶されて初めて歴史になりうるものです。
そうした事実を歴史たらしめることが、
過去に生きた人々、先達に対する
ぼくたちの尊敬の念なのだと思います。
ぼくはそう思って、〔無言歌〕を撮りました」
文化大革命の数年前に起きた反右派闘争、
いまだにタブー視されたままの中国近代化の闇の事件は、
中国資本からは1円の出資も仰がず、
すべて外国資本(香港・フランス・ベルギー)で映画化された。
キム・ギドク、そしてジャ・ジャンクー。
彼らの人間を見つめるまなざしは、素晴らしく、
とても好きだけれど、
ワン・ビンのまなざしは、二人よりも強く社会化されていて、
そこには、
虐げられた者たちの無言の怒りが充満している。
憤ることを忘れた世界の赤恥現代人たちに、
黙って「無言歌」を謹呈したい。
Posted by kimpitt at 17:05│Comments(0)