2012年02月11日

世界を放浪し ソ連に亡命した日本の男性




 
    日常的には、あまり目にすることのない言葉・・・
    「無辺」。
    辞書には、
    「広く大きくて、限りのない様子」
    と定義してある。
    ぼくは、
    この言葉そのものは知ってはいたけれど、
    文章のなかに使ったことはなかった。
    
    しかし、これに「者」がつくと、
    どうなのか。
    「広く大きくて、限りのない」というような意味ではなく、
    「どこにも定住しない漂流者」
    みたいなイメージをもってしまう。
    
    その言葉の裏には、
    茫漠とした悲しさが漂っている。
    
    
    じつは、このまえ、
    日本経済新聞の文化欄に、
    島田 顕さん(法政大学講師)という人が、
    この「無辺者」のことを書いていた。
    
    それによると。
    
    島田さんは、
    大学卒業後、
    ロシアの日本語放送をする「ロシアの声」に就職し、
    1996年から2001年まで、
    そこで日本語通訳兼アナウンサーとして働いていた。
    そのときに、
    旧ソ連時代に、
    「モスクワ放送」の最初の日本人アナウンサーとして、
    「ムヘンシャ」という人が存在していたことを知った。
    
    当然のことながら、当時は、
    亡命しなければ、ソ連でそういう仕事はできない.
    島田さんは、つい興味をそそられて、
    その人物のことを調べ始めた。
    
    そして、
    アメリカの議会図書館で、
    ソ連に関連した日本人の情報をまとめたファイルのなかに、
    「ムヘンシャ」という名前を発見。
    
    後日、ロシアへ出かけたさいに、
    モスクワにあるロシア国立社会政治史文書館で、
    ムヘンシャの、緒方重臣という本名を知るのだった。
    
    
    緒方重臣(おがた しげおみ)。
    1896年、福岡県生まれ。
    18歳から、炭鉱や港湾の労働者。
    のちに、遠洋行路船のボイラーマンとして、世界各地へ。
    1929年に、ソ連へ亡命。
    (33歳のとき、ウラジオストック停泊中の船から逃亡)
    モスクワの大学で学び、外国語文献の出版所で、
    日本語の編集に携わり、
    42年に、モスクワ放送のアナウンサーになる。
    その後のことは、
    「誠実な働き者であった」という評以外には、
    なにも記録が残っていない。
    
    その後彼は、日本へ帰国したのかどうか。
    それすらも、わからない。
    
    島田 顕さんは、
    これからも、時間をかけて、
    ムヘンシャこと緒方重臣さんの行方を、
    調べたいと語っていた。
    
    
    ロシアにいて、
    「無辺者」と名乗り、
    日本語放送をしていた男。
    この言葉からは、
    そういう偽名を選択した緒方重臣さんの心情が、
    透けてみえてくる。
    
    故郷は、遠きにありて思うもの。
    そして、悲しく歌うもの。
    
    
    
    
   




Posted by kimpitt at 17:43│Comments(0)
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