2012年02月08日
服役したあと 逆に告訴した少年たち
日本も、いずれアメリカみたいに、
訴訟大国になるかもしれない。
ま、善悪ともどもアメリカの後を追いかけているから、
よしとするか?
さて、静岡は御殿場での事件。
2001年に、
少女〇姦未遂事件で、最高裁の有罪判決が出て、
服役し終えた少年4人(当時16-17歳)が、
「虚偽の被害申告で精神的苦痛をうけた」として、
当時16歳だった女性に、
2000万円の損害賠償を求めるため提訴した。
訴状によると、
「強〇という事実は、まったくない」
ひゃーーーーっ。
どっちの言うことが、真実なのか。
まるで、
黒沢 明の映画「羅生門」、
しつれい、原作があるから、
芥川龍之介の「羅生門」と言うほうが、
いいのかもしれない。
ごく単純に考えると、
そこまで争う気があるということは、
「彼らは、やっていない」と、
つい思いたくなる。
強〇そのものも、
第三者の証言というのは、まずありえなくて、
判断・立証が難しいけれど、
「〇姦未遂」となると、
さらに難しくなるだろう。
「やられました」
「やろうとしてけど、やってはいねーだろ」
の水かけ論。
以前、ぼくは、
「強〇」というのは、挿入までかと思っていたけれど、
どうも、そうではないらしい。
だとすると、
その曖昧?な行為が、「未遂」てあったというのは、
いったい、なにを、どこまでしたのか?
真偽のほどはともかく、
こうした行為は、絶対に許せないと、
ぼくは、思う。
ただし、最近では、
男性が被害者になるケースも出始めている。
ぼくも、個人的に相談を受けたことがある。
たいていの男は、
「ゴーカ〇される? そんなの、ありえないよ」
と、単純・率直な疑問で反応するのだが、
ありうる、というか、「ある」のだ。
より深刻なのは、
加害者が家族の場合だろう。
ほとんど水面下のままになってしまうけれど、
加害者は父親、被害者は息子、
というケースもある。
まったく人間というものは、
なんでもやっちゃう動物なのだ。
Posted by kimpitt at 17:44│Comments(0)