2012年01月20日
言葉に酔う 口先ニンゲンには なりたくないね

山折哲雄さんという宗教家がいる。
ある新聞のインタビューに答えて、
東日本大震災以降、
まるで流行り言葉のようになって、
なにかといえば「絆」という言葉が使われることに、
異論を提していた。
「生き残った者同士が、
人間的なつながりを大切にしたいというが、
生き残った者と死者との絆については、
誰も問題にする気配はない。
それには、深い違和感がある」
といった意味の発言内容だった。
じつは、その前日に、ぼくは、
NHKの「クローズアッブ現代」で、
東北のどこかの小学校の生徒たちが、
日ごろからの学習のおかげで、
自主的な判断によって避難をし、
津波から逃れて生き残った実話を、
特集していた。
その番組は、
見ていて、痛々しいかった。
もし、わが子を津波で失った遺族が、
この番組を見たら、どう感じるだろうかと思うと、
第三者であるにもかかわらず、
ぼくは、なんとも辛くてしかたがなかった。
運よく生き残った人たちが、
肩を抱き合って泣いたりらするのは、
なにも悪いことではない。
しかし、彼らにしても、
夫や妻や子どもなどを亡くした人たちのまえで、
「助かってよかったね」
なんて言葉を口にすることは、
ないとは思うけれど、
自分の幸運と他人の不幸が、
背中合わせになっている過酷な現実を自覚したうえで、
他者や死者への思いをこそ口にしてほしい。
いま人々が口にするほど、
世間の人たちに、たくさんの絆が存在するのか。
むしろ、現実は、
孤独と孤立が蔓延しているのではないか。
絆という言葉を乱用するだけでは、
絆は、生まれはしない。
とにかく人は、言葉に酔い、
口先人間になっている。
Posted by kimpitt at 15:11│Comments(0)