2011年12月05日
天国のドアを ノックできる人 できない人
「ノッキング・オン・ベブンスドア」
という映画がある。
どこか、とてもマイナーな国の作品だったと思う。
そのキャッチは、
「天国では、海の話をするんだぜ」だった。
見てはいるのに、
それ以外の記憶はない。
さて、と。
むかし、横山ノックという人がいた。
コメディァンで、
のちに、大阪府知事になった人である。
彼がいまだに生きているかどうかは知らないし、
天国へ行くかどうかも、
天国のドアをノックするかどうかも、
知りません。
んで、彼は、府知事時代に、
セクハラ事件を起こしたことで有名だ。
聞いた話なんだけど、彼は、
若い頃、米軍女性兵士に銃を突きつけて脅され、
車中でレイプされ、
しかも、
それを誰にも信じてもらえなかった・・・
と本人が、誰かに語り、
それを聞いた人が、
ある本のなかに書いているソウダ。
誰にも信じてもらえなかった・・・???
ありうる話だ。
静岡にだって、その種の被害者はいる。
もちろん、男性である。
しかし、こういう話をすると、
誰もが、
「そんなこと、起こりえないんじゃないか」
という反応をする。
そう、ごく常識的というか、
平凡な知識と想像力では、
物理的・生理的に無理だと思ってしまうのだろう。
人間という生き物は、
不可能を可能にしてしまう動物らしい。
しかし、レイプといっても、
その行為は、挿入行為だけを意味するわけではない。
その種の加害/被害もまた、
じつに多様なのだから。
そして。
ノック氏が、セクハラをした場所は、
彼か、被害を受けた場所と同じだったという。
それは、単なる偶然にしては、
あまりに偶然すぎて、ドラマチックだ。
かなり前のことだけど、
奈良かどこかの少年施設で、
女性の指導員が入所している少年に、
○的暴行を働いていたことが、
新聞報道されたことがあるけれど、
女児に対するものも含めて、
その種の虐待は、ほとんど水面下にある。
アメリカでは、
父親がわが子(男児)に○的虐待をしていた・・・
という事例が、
被害者救済にかかわる人たちが書いた本に、
紹介されている。
そして、幼少時に虐待を経験した子どもが、
大人になってから加害者になってしまうケースが
少なくないことも、
その本には書かれている。
子どもが、みずからの生育環境を、
選ぶことはできないとするなら、
大人の罪は、世代を超えて連鎖していく。
人類が、そひかに抱える闇は、
常識人の想像を、はるかに超えているのだ。
Posted by kimpitt at 16:34│Comments(0)