2014年04月01日
モシカシテ 秀作 じゃないの 「白ゆき姫殺人事件」
4月上旬のラジオで紹介する作品を、
ぼくたちは探していた。
その、ぼくたちとは、
番組担当のディレクター(若い女の子Sさん)と、
ぼくのことである。
○○○○○・・・・は、
主演の男性スターの顔が嫌いだし、
○○○○○・・・・は、
放送日前後には、
もう上映が終了している可能性が低くないし・・・
・・・ぶつぶつぶつ。
「だから。これで、いこうか、これで。
3月29日封切りだから、これなら大丈夫!」
「うん。ほかにはないし、ね。
「よし、決めた。これで、いこう」
「こんな事情がなければ、
絶対に見ることはない作品かもれないけれど」
「ま、それも、ひとつの運命だ。
ぼくたちにとっても、映画にとっても」
ということで、選ばれた名誉なき作品は、
「し○○○○○さ○○○○○ん」
でありました。
苦笑。
と、と、と、ところが、
見てみると。
「なに? これ? アテウマなんかじゃ、ないじゃん。
ちょっと、ちょっと、ちょっと。
これって、けっこう秀作してるじゃん」
湊かなえ原作、中村義洋監督作品、
「白ゆき姫殺人事件」
化粧品メーカーに勤務する25歳のイケジョ(美貌の女子社員)が、
緑したたる公園の林のなかで、
全身十数か所を刃物でズタズタに刺されたうえ(着衣のまま)、
石油をかけて焼かれ、謎の死を遂げた・・・・・・。
まるでテレビのワイドシヨーの要請に応じて、
発生したような事件・・・である?
ぞろぞろと登場する女性社員は、
みんなイマドキのケバさを、ほどよく身にまとっているし、
上司との恋愛で、三角関係にある女子社員同士とか、
番組制作会社の、冴えない契約社員の映像ディレクターとか、
そんな人間たちが、この殺人事件について、
ツィッターで、無責任な、
推理ともいえないつぶやきを連発して、
犯人探しが始まる。
こんな人間風景を大型スクリーンで見ていると、
いまの日本人は、そして、いまの日本そのものは、
いかにも軽薄で、薄っぺらな存在であることが、
イヤでも、びしびしと伝わってきてしまう。
おまけに、
この映画そのもののストーリーテリングの作法も、
じつに巧みに構成されていて、
観客の好奇心に火をつけるような語り口が、
絶妙に、あざとかったりする。
つまり、映画そのものも、
まさに時代の軽薄さを背負い込んで、
計算ずくではしゃいでいるかのようである。
うーむ。
こりゃ、タダモンの映画ではない。
時代の空虚さ、生き物の愚かさ、生きることの虚しさを、
高い目線で批判するのではなく、
同じ地平から、同じ痴情に染まって、
確信犯的に告発しているのではないか。
とにかく、
中村義洋監督の表現技法は冴えまくっていて、
なにより岩波式インテリの対極の立ち位置から、
日本と日本人を告発しようとしているところが、
素晴らしい。
また、
あわや犯人にされかかる地味な社員役の井上真央の、
微妙なニュアンスの表情の演技が絶品だし、
登場するだけで疲れ切った男になっている綾野 剛も、
演技というよりキャラの持ち味で不戦勝しちゃってるし、
その他の俳優たちも、
政治家同様に、みんなみんな薄っぺらでアホ!・・・・
虚しい人生以外になにももたない現代人を、
見事に演じている。
これって、もしかしたら、
演技なんかじゃなくて、
出演俳優たちの実像そのものなんじゃないのか?
世の中の薄っぺらさを、
こんなにもリアルに描き出した映画は、
そうそう、ざらにあるものではない。
これは、異色の秀作ですよ。
まいったなあ、もう。
Posted by kimpitt at 20:41│Comments(0)