2013年11月07日
サイテーのクソ男を描いた映画

ウソツキで、ワガママで、ゴーマン。
だから誰からも嫌われたサイテーのクソ男は、
世界中の人から尊敬されてもいた。
その男の名は、スティーブ・ジョブズ。
この男、
アップルコンピュータの創業者スティーブ・ジョブズを演じたのは、
アシュトン・カッチャー。
誰もがそうであるように、
カッチャーもまた、デビュー当時、
売れっ子の青春スターになりたい無名の青年だったけれど、
その若々しい肉体を武器に、
まもなく女の下り坂を迎えようとしていた年上のスター、
デミー・ムーアに取り入って、
同棲することに成功した。
しかし、皮肉なことに、
その後の彼は、
俳優をつづけてはいたけれど、
ブレークしてスターダムにのし上がることはなく、
いわば地道に生きざるをえなかったのだと思う。
だから、日本では、
「カッチャーって、誰?」的な存在なのだが、
ここへ来て、
世界の歴史に残る変人スティーブ・ジョブズの役が、
彼に回ってきた。
ぼくは、
ジョブズも知っていたし、カッチャーも知っていたけれど、
二人が似ているとは、これまで、まったく思わなかった。
(知っているとは、「顔を知っている」という意味で、
交友があったわけではない)
ところが、映画を見ると、
歩きかたまでそっくりで、
思わず笑ってしまった。
(ここでの笑いは、好意的なものである)
映画は、
彼の創業期から成功期、
そして独裁を嫌って会社をクビになり、
やかで復帰して「i pod」で大成功をおさめるまでを、
描いている。
ちなみに彼(スティーブ・ジョブズ)は、
2011年10月5日に、
56歳の若さで、この世を去っている。
映画は、日本では、
2013年11月1日に公開されたのだが、
つまり、2年ちよっと前に、
スティーブ・ジョブズは、まだ生きていたのである。
ぼくは、友人たちから、
「キムは、マックだよね」と、よく言われる。
マックとは、
アップル社が製造・販売している
マキントッシュというパソコンの通称で、
日本でのシェアは、
マイクロソフト社のウィンドウズと比較して相対的に低いけれど、
アーチストや編集者など個性的なコダワリ人間が愛用しているため、
独特の人気を保持している。
だからぼくも、
精神的にはマック派なんだが、
肉体的?には、ウィンドウズ。
なぜかというと、
ウィンドウズは圧倒的なシェアで日本に君臨しているため、
日本におけるスタンダードになっていて、
ソフト(アプリ)類もよく普及していて、
互換性という点では、マックを大きく凌駕しているのだ。
ぼくは、広い世間では、
いちおう個性的な人間だと思われているため、
ほとんどの人が、「マックだろ?」
そこで、ぼくは、
「うんにゃ、ウィンドウズだよ」と、
相手の期待に背く。
この快感が、たまらなく楽しい。
さて、映画「スティーブ・ジョブズ」に戻ると、
ドラマは、いわば、
スティーブ・ジョブズの苦闘をめぐるエピソードが、
じつに巧みに積み重ねられていて、
パソコン・オタクなら、
まったく飽きることなく見続けていけるのだが、
パソコンそのものやマックについては、
基礎から応用のことまで、
なにも語ってはくれないので、
マックというパソコンの存在とその特徴に無知な人は、
だだひたすら「狐に摘ままれた」状態で、
画面を眺めているしかない。
それと、
スティーブ・ジョブズの私的生活や性癖なども、
まったく語られていない。
最初のほうで、自分の子を妊娠した女を捨てる・・・
というエピソードは出てくるけれど、
食生活も性生活も、まったくわからない。
ガハハハハ。
これは、しばらく前に公開された「リンカーン」にも当てはまることで、
ようするに、
リンカーンが何者かを知らない人にとっては、
黒人解放のための議会対策などといっても、
「なに、それ?」でしかないのと同じなのだ。
おまけに、
スティーブ・ジョブズを描いているといっても、
ウソツキで、ワガママで、ゴーマンなところは、
あんまり描いていないから、
彼が、
「誰からも嫌われたサイテーのクソ男」だとは、
にわかには信じられないかもしれない。
でもね・・・・・・
ほんとのことしか話さず、
ものすごく協調的な性格で、
誠実・謙虚な男だったら、
あのように歴史に残るサクセス・ストーリーなど、
生み出せるわけがないですよね。
ただ、ぼくが、
そのどちらのタイプでもないというのは、
じつに悲しい事実だと、
この映画を見て再認識してしまったのです。
しゃんしャん。
Posted by kimpitt at 20:36│Comments(0)