2013年03月19日
若松孝二の秀作・遺作 「千年の愉楽」
中上健次は、
その当時、まだ無名の文学青年だった村上春樹を、
誘惑した。
作家になることをではなく、
肉体関係をもちたいという誘惑だった。
で、村上春樹は、どうしたかというと、
それで文学の世界の住人になれるのであれば、
いささかもたじろぐことなく、中上の誘惑を受け入れた・・・
わけではなかった。
一説によると、村上春樹は、
土下座をして断ったという。
そんなことまでして断るほどのものではないと、
個人的には思うのだけれど、
じつはこのエピソード、
どこまでが真実で、どこがフィクションなのか、
わからない。
土俗的な血が騒ぐ土建屋のオジサンみたいな中上と、
アイビールックの育ちのよさそうなオタク青年なら、
とてもいい組み合わせなのにね。
ははは。
さて、その中上健次の「千年の愉楽」が、
映画化された。
監督したのは、若松孝二である。
彼・若松孝二は、
この作品の完成直後、
自動車にはねられて忽然と他界してしまった。
「キャタピラー」は見ていないけれど、
「11・25 自決の日」
「海燕ホテル・ブルー」
「千年の愉楽」と、3本を立て続けに見たうえでいえば、
たいへんな秀作。
これと比較すると、前の2作は、
ほとんど習作の域でしかない。
なにが、なぜ秀作なのかというと、
血にまつわる土俗的で陰惨なドラマなのに、
全編に流れているのは、
じつにおおらかな人間讃歌・・・
つまり、のびやかな生の肯定。
外国映画も含めて最近の作品では、
めずらしい内容といえそうだ。
そして、描写に無駄がなく、むしろストイック。
原作は、いかにもいかにも若松好みのものなので、
さぞかし拘って、入れこんで作っているかと思いきや、
じつに簡素・簡潔・清潔なのである。
物語の舞台は、
三重県尾鷲湾の小さな入り江にある「被差別部落」で、
淫乱で穢れた血を受け継いだ賎民の男たちが、
なんとも無惨な死を遂げていく話。
結婚して子供が生まれたばかりなのに、
「むこうから誘ってくるし、気持ちのいいことだから」と、
つぎづきによその女に手を出す男、
盗みをするときだけ体の血が沸き立つという男など。
それらの男たちを、いささかも非難することなく、
「いつでも帰っておいで」と、
寺島しのぶ扮する産婆に、語らせたりもしている。
とくに、ラストシーンに流れる歌が、
鮮やかに秀逸だ。
難しい歴史秘話は割愛するけれど、
明治維新の幕藩体制の一掃は、じつは、
賤民の解放につながらなかったそうで、
ここでは、被差別部落のことはなにも語られないけれど、
この映画は、被差別部落の賎民の物語なのである。
ラストシーンに流れる歌「バンパイ」の歌詞は・・・
明治の御大を迎えてよ
四民平等の声聞いて
万歳という字を知らず
意味もわからぬ者ながら
バンパイバンパイと叫んだが
礫打たれて 火を放たれ
槍で突かれて捨てられた
バンパイ バンパイ
猿の如く狩られても
女は孕み 子が生まれ
路地から人が溢れだす
父なしだろうが アホだろが
あの世よりはこの現世へ
滅びるよりは産んで増やせよ
子を産むことこそバンパイよ
この映画「千年の愉楽」は、
若松孝二の思想の神髄が匂う
辞世の歌そのものでもある。
Posted by kimpitt at 21:19│Comments(0)